mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

がんばれ石川雄洋!



1月16日深夜のGet Sportsでベイスターズ初代キャプテンだった石川雄洋さんのアメリカンフットボール選手としての挑戦が取り上げられていた。


その番組を見ていて、彼についての思い出や様々な想いが鮮やかに蘇ってきた。

それらはまるで皆昨日の出来事のようだった。


石川さんは横浜高校で涌井投手とチームメイトとして共に戦い、春と夏の甲子園を経験している。3年の夏には2回戦で三塁打を放ちサードにヘッドスライディングした際に首などを強打して一時は意識を失い、担架で運び出された。


しかし、その後復帰して延長10回のピンチをファインプレーで救い、チームは11回に1-0でサヨナラ勝ちをおさめている(その後準決勝まで進んだがそこで優勝した駒大苫小牧に敗れた)。


昭和の頃のプロ野球か先頃亡くなった水島新司さんの野球漫画のような武勇伝だ。

この頃から、彼は、ひょろっとした外見からは分からないような心と身体の強さを持っていたのだと思う。


2004年にドラフト6位でベイスターズに入団。2007年からは1軍に定着して主にセカンドとショートを守ったが、チーム事情でサードや外野を守るユーチィリティ性も見せていた。


2012年に中畑清監督に指名されてベイスターズの初代キャプテンに就任。2015年に横浜高校の後輩である筒香嘉智選手に引き継ぐまで3シーズン主将を務めた。


彼は見た目がぶっきらぼうで口下手なこともあり、人一倍練習する熱血漢であるにもかかわらずそうは見えないということで損をすることも多かったように思う。


中畑監督には選手としての姿勢などをしばしば指導され、本気でぶつかり合ったことも多かったようだ。石川さん自身も「中畑さんは本気でしかってくれた。感謝している」と言っている(「飛び出せ青春」の根は良い奴だけど不良生徒というキャラクターのセリフのようだ。平成以降の方は何だか分からないと思います。スミマセン)。


2020年に戦力外となるまでの16年間で通算1003安打、打率.256は立派な記録だ。

2010年には36盗塁を記録し、カープの梵英心選手に続くリーグ2位だった。


石川さんに関して強く記憶に残っていることが二つある。


一つ目は、前半戦を首位で折り返し最後は最下位に沈んだあの2015年シーズンのはじめ、トップバッターとして活躍し、石川選手が初回に先頭打者で出塁するとチームが負けないという不敗神話を14戦連続させたこと。


私には、切なく儚かったあの春を象徴する出来事のように思える。


もう一つは、チームが10連敗で最下位に低迷していた2019年の4月にシーズン初の出場選手登録を果たすと、東京ドームの巨人戦で2番・二塁手としてスタメンに出場。決勝のツーランを放つなど、5打数3安打の活躍で、チームの連敗ストップに貢献したこと。


あの日の彼は本当に救世主だった。



今シーズン楽天からベイスターズに復帰する藤田一也選手は自他共に認める「石川雄洋ファン」で、彼はこう言っていた。


「雄洋はとにかくケガをしていても試合に出つづけるんですよ。明らかにケガをして僕にチャンスが来たと思っても、雄洋は一度も譲ってくれることはありませんでした。それが雄洋のスタンスでありプロ意識だって」


そう、怪我を恐れず、怪我しても出場し続ける果敢なプレースタイルは高校生の頃から引退するまでずっと変わらなかった。


昨年の引退セレモニーで、彼は、


「横浜高校時代から横浜で19年間、人間として、野球人として成長させていただきました。この街が本当に大好きです。16年間、なかなか勝つことができずつらい思い出も多いですが、幸せな時間を過ごすことができました。本当にありがとうございました」


と言った。



でも、横浜の街も貴方のことが大好きだったのですよ。ついでに言うと、貴方が引退を決意した時にご自宅まで挨拶に行った中畑前監督も貴方のことが大好きなんだと思う。


今でも、シーズンオフで人のまばらな横浜スタジアムの横を通ると、応援団の皆さんの


ヨーコハマーベーイスターズーしょーりいのーかがやきーめざーしてー


の発声に続いて1番バッター石川雄洋の応援歌が、


エーイカーンつかむそーの日までーおそれーずーとーびこめベース


と聞こえてくるような気がする。そしてそのざわめきと誇らしげな歌声を私は一生忘れことはないだろう。


Get Sportsでは、彼が引退してからアメフト選手として本格的なトレーニングを続ける日々に密着していた。石川さんは相変わらず飄々とした感じで練習に取り組んでいたが、身体がふたまわりも大きくなっていて驚かされた。


特に、生命線でもある首周りのよろいの様な筋肉はまさにアメフト選手のものだった。


そして、Xリーグでのデビュー戦、大差をつけられてはいたものの、第4クォーターで左のワイドレシーバーとして出場した彼はサードダウンロングと言うパスが必須の状況で、24ヤードのロングパスキャッチを見事に決めた。


真っ直ぐ走ってから右斜めに切れ込み、相手ディフェンスの第二列と第三列、つまりラインバッカーとセーフティーの間の恐らくゾーンディフェンスの境界にあたる絶妙な位置での捕球だった。


パスキャッチの瞬間、後方から来る敵のセーフティがタックルを仕掛けることがわかっている位置で敵に背を向けボールに集中して捕球すると言うのは、初心者にとっては非常に怖いと思う。


強いコンタクトのあるスポーツはこうした恐怖心に打ち勝つ勇気がどうしても必要になる。

彼はそう言う世界を求め、そして文字通り、恐れず飛び込んだのだろう。


彼がアスリートとして気が済むまで、アメフトの世界で必死に努力するのは良いことだと思う。恐らく彼のような人は自分自身が完全に納得するまで方向を変えることはできないだろうから。


頑張れ石川雄洋。


そして、気が済むまでアメフトで勝負したら、またベイスターズに戻ってきてくれ。


貴方が後輩たちと一緒に強いチームを作り優勝すると言う私の悲願をかなえて欲しい。