mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

東克樹と私の心のヨロイ

9月28日 対ヤクルト(神宮球場)  0-4 負け


5回裏二死満塁でバッターは青木。
その前の打者の塩見から三球三振をとったところだ。最後のアウトローの糸を引くようなストレートは素晴らしかった。
しかし、青木には前の打席でさんざん粘られていたので、目は慣れているだろう。
危険な匂いがする。


マウンド上の東克樹は、低めの変化球で一つストライクをとった後、大きく息をついた。
私は画面に見入りながら、東投手の息づかいまで身近に聞こえるような奇妙な臨場感を覚えていた。


会ったこともないこの青年のことを、私はなぜこんなに身近に感じるのだろうか?


幼い頃、大人達のことが不思議だった。毎日あまり楽しくもなさそうな仕事をして嫌なことやトラブルもあるだろうに、子供の様に泣いたり怒ったりすることもなく、淡々と役目を果たしている。私は自分がそう言う大人になれるのか不安だった。


自分が大人になってみると、仕組みが分かってきた。大抵のことが起きても大丈夫な様に、喜怒哀楽をあまり表に出さず、役割を演じることで、仕事をちゃんと進めていく。
その内側にいる本当の自分は、子供の頃とあまり変わらず、泣いたり笑ったりする人格のままなのに。
歳を経て経験を積んでくると、自分の心の周囲にあるこの「役割」というヨロイはどんどん強く厚くなって行く。百戦錬磨だ。しかし同時に、このヨロイは本当の自分ではないということもよくわかってくる。


だから、私は心のヨロイに孔をあけることにした。ベイスターズという孔だ。彼らが勝ったり敗けたりするたびに、平気な顔をしたヨロイを通り抜けて本当の自分に直接届いてくる。私は子供の様に泣いたり笑ったりする。


東克樹投手は私の心のヨロイの内側にいるのだ。


小柄な彼がルーキーイヤーのキャンプで遠い距離のキャッチボールをするところを動画配信で見た時に、彼の投ずるボールの力強さに驚き、そして、大袈裟に言えば感動したのだ。



頼れるルーキー 東克樹



東投手が去年の2月20日に左肘のトミージョン手術を受けてから、私はずっと待っていた。
今年になってキャッチボールを始めたというニュースを見た。その後も時々Twitterを覗いて近況を知った。
4月21日 手術後はじめて捕手をすわらせて投球しました。
4月24日 捕手の方にすわっていただいて初めて変化球を投げました。
5月9日 初めて打者に投球しました。
7月11日 ようやく実戦(二軍戦)に復帰しました。
徐々に復活しつつあることを知り嬉しかった。捕手をすわらせて、から捕手の方に座っていただいて、に変わったことも嬉しかった。投球以外にも成長しているのだろうと思った。


そして今日、東は767日ぶりに一軍のマウンドに立った。


青木への2球目は外角低めへのスライダーだったと思う。
そんなに甘いボールには見えなかったが、青木が一枚上だった。流し打ちの打球は風にものってレフトスタンドに吸い込まれて行った。満塁ホームランだ。
ここで東は降板。これが767日ぶりの彼の晴れ舞台だった。


この短い時間の出来事は、私の心のヨロイを突き抜けて、子供の頃と変わらないむき出しの自分自身に突き刺さった。立ち直るには、いつものように、2時間程度の有酸素運動で汗をかき、プロ野球スピリッツでかたきをとり、そして酒なども飲むことが必要だろうと思う。


しかし、私には、このショックよりもずっと大きな喜びがある。


そうだ。東克樹がとうとう帰って来たのだ。