mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

若くなるには時間がかかる ホセ・ロペスの野球人生



10月25日 ベネズエラリーグでプレーしていたホセ・ロペスが引退することを自身のSNSで明らかにした。


“人生で最も難しい決断だった”とのこと。


ロペス選手は私が2010年代で最も応援した選手の一人であり、ホエールズ、ベイスターズの歴代の外国人選手の中でも最も好きな選手だ。


今日は彼のことについて書いてみよう。




【ホセ・ロペスの選手としての経歴】


ホセ・セレスティーノ・ロペスは1983年11月24日(仲の良い筒香嘉智の誕生日と2日違い)にベネズエラで生まれた。もうすぐ39歳になる。


ロペス選手は2000年にドラフト外でシアトルマリナーズに入団したそうなので、16歳で母国を出てアメリカでプロ野球選手の道を歩み始めたことになる。


そして、20歳になった2004年にはメジャー昇格果たし、エンゼルスとの公式戦でデビューを果たした。


この年のマリナーズと言えば、イチローさんが258本と言うシーズン最多安打記録を達成したことが大きなニュースだったが、記録達成となった10月1日の試合にもロペス選手は出場していた。



2006年にはマリナーズのセカンドのレギュラーに定着し、その年のオールスターにも名選手ロビンソン・カノーの代替選手として出場を果たしている。


その後、2009年まで4シーズンに渡ってマリナーズの正二塁手の座を保ったが、その頃は今よりも細身だったとは言えセカンドとしては俊敏性に欠け、2010年にショーン・フィギンス選手が入団するとサードに移った。


しかし、それ以降、打撃の不調もあり自由契約となって、ロッキーズ、マーリンズ、インディアンズ、ホワイトソックスと移籍を繰り返した後、2013年に来日して当時の原辰徳監督率いる巨人に一塁手として入団した。


2013年には打率3割を超え(ジャイアンツの新外国人として初)、堅実な一塁守備でゴールデングローブ賞も獲得した。この年の日本シリーズで楽天の田中将大投手から同点ツーランを放ってガッツポーズをしたシーンが記憶に残っている。


しかし、2014年には前年を上回る20本塁打を放ったものの、打率は2割4分台に低下。


阿部慎之介選手の一塁手へのコンバートやアンダーソン、セペタと言う新外国人選手の入団もあり、戦力外となって、オフにベイスターズに移籍することが発表された。



【ベイスターズでの活躍】


2015年のベイスターズは中畑監督の最終年で、前半戦首位を走り、後半に失速して最下位で終わると言うジェットコースターのようなシーズンだったが、ロペス選手は打率 .291、25本塁打、73打点と言う成績を残した。


頼れるクリーンアップの役目を十分に果たして、この年のオールスターでは一塁手部門で最高得票を得て出場している。


そして、2016年に同じベネズエラ出身のアレックス・ラミレスが監督に就任すると、外国人選手と言う枠を越え、チームの精神的支柱として若手を引っ張り、勝負強い打撃と堅実で柔らかい一塁守備で貢献し続けた。



2016年の球団初となるCS出場、そして2017年の日本シリーズ出場は彼の活躍と献身抜きには考えられない。


好守の一塁手としても知られており、2016〜2019年の4年間に渡ってゴールデングローブ賞を連続受賞している。また、彼の持つ一塁手としての1632守備機会連続無失策というNPB記録は未だに破られていない。


彼のキャリアハイは2017年。一軍公式戦全143試合中142試合に出場し、30本塁打、105打点、171安打という成績で、セ・リーグ打点王と最多安打のタイトルを獲得した。



2018年、ロペスは交流戦の開幕時点で、本塁打(15本)・打点(41打点)ともセ・リーグのトップに立っていた。しかし、交流戦の開幕戦に当たる5月29日の対楽天戦(横浜)4回裏の第2打席で左翼線に安打を放って一塁へ到達した際に、右太腿の裏を痛めて途中交代し、この試合を境に右太腿部の数ヶ所を痛めた。この辺りから故障が増えた気がする。


この頃、私は、原因不明の右腿裏痛におそわれており、その痛みは断続的に一年以上続いた。


勿論、私は常にロペスのことを心配しており、常々そのように発言していたため、周囲からは想像妊娠ならぬ想像肉離れと言われていた。心配しすぎて彼になりきってしまったのかも知れない。


2020年にはソト、オースティンと言う新たな外国人選手の活躍もあり、スタメンの機会は減ったが、10月31日の阪神戦でヒットを放ち、これがNPBでの1000安打目となった。


MLBとNPBの両方でそれぞれ1000安打を放ったのはロペス選手が史上初めてであり、その後も誰も成し遂げていない。



この年を最後にベイスターズを自由契約となり、昨2021年シーズンから故国ベネズエラリーグでプレーしていることが未だに親交のあるベイスターズの英語・スペイン語担当の天野通訳(大阪外語大野球部ですゑひろがりず南條さんの後輩だったらしい)のSNSで時折伝えられていた。


【El Chamo!】


ロペス選手はベイスターズのチームメイトやスタッフは勿論、ファンや他チームの選手たちからも慕われていた。


彼の引退のニュースを聞いて、かつてのチームメイトでもあった三浦大輔監督が“落ち着いたら、また横浜に顔を出して欲しいですね”と言っていたが、それは皆の気持ちでもある。


日本での選手時代、相手チームの選手がヒットやフォアボールで出塁すると、一塁のベース上でロペス選手が彼らにひとこと二言声をかける。


もちろん我々に聞こえる筈はないのだが、“ああ、良く来たな。最近はどうだい?少しゆっくりしていってくれよ”という様なことを言っている様な気がした。


彼はイタズラ好きの一面もある。


そのせいか、ニックネームはEl Chamo。スペイン語でやんちゃ坊主だそうだ。


そう言えば、ロペスは新人選手の初ヒット記念ボールをスタンドに投げ込むフリをすると言うドッキリを二度ほどやっていたっけ(実際に投げたのはもう一方の手に持っていた別のボール)。


彼は長い選手生活の中で、ゆっくりと、しかし着実に余分なものを削ぎ落とした純粋なベースボールプレイヤー、いや、野球少年になって行ったように思う。


そう、パブロ・ピカソの言っていた通り、“若くなるには時間がかかる” のだ。





ロペス選手について忘れることのできない想い出が私にはある。


2016年9月18日の横浜スタジアムでのカープ戦。10回裏に彼のスリーランホームランでサヨナラ勝ちした試合だ。


その日私はスタジアムに行くことができず、車を運転しながらサヨナラ勝ちに至る緊迫した展開をラジオで聴いていた。


試合終了から30分近く経って、スタジアムの横を通過した時、私は耳を疑った。


叫ぶような声援がまだ続いていたのだ。


「ローペース!ローペース!ローペース!ローペース!ローペース!・・・」


そして、その声援は5年以上経った今日も、未だに関内駅周辺に轟き、こだましている。


この音が未だに聞こえる人達のことを世間ではベイスターズファンと呼ぶらしい。