嶺井博希と三浦大輔 心の対話
11月4日 FA宣言期間5日目
各紙でFA宣言の可能性が高いと言われていた嶺井博希選手がFA宣言することを正式に球団に申し入れ、球団からその旨が公示された。
また、球団を通じて、以下の嶺井選手のコメントが伝えられている。
“今後の人生を考えた上で、今回FA権を行使させていただきました。
今後どのような形になろうと、自分の決断に後悔がないようにしていきたいと思います”
このコメントを解釈するのは簡単ではない。特に、今後の人生を考えた上で行使させていただきました、という件は既に移籍を決意しているように読めなくもない。
いや、今後の人生で悔いのないようにするため、すべての選択肢を一度は検討しておきたいという意味かも知れない。
いずれにしても、本人の本当の気持ちは我々には分からないし、本人の本当の気持ちが現時点で本人にわかっているのかもよく分からない。
【三浦大輔投手のFA宣言時の迷いと決断】
1991年ドラフト6位でベイスターズに入団し1998年、38年ぶりのリーグ優勝と日本一を達成した時には24歳の若きエース候補として25試合に先発し12勝7敗の成績を残していた。
しかしチームはその後、いわゆる暗黒時代という長期にわたる低迷に突入しており、2008年に2度目のFA権を取得(1度目は宣言残留)すると、オフに阪神が高額かつ長期契約をオファーした。
三浦投手は特に阪神戦に相性がよく、虎キラーだったため、阪神からすると天敵を自軍に引き入れて勝ち星を上げてくれれば、負け分も減って一石二鳥という思惑もあったのだろう。
また、三浦さんは奈良県高田商業高校の出身だが、幼少期は大阪市中央区で育ち、お父上が岡田彰布選手の後援会のメンバーだったほどの虎党で三浦少年ももちろん熱烈なタイガースファンだった。
当時の横浜ベイスターズが残留交渉にあたって提示した額は阪神より低く、チームも最下位で、阪神に移れば優勝も狙えるという状況だった。
メディアはもちろん、我々ファンも”今回は移籍するのだろうな”と思っていた。
しかし、その年の11月30日に彼は記者会見を開いて横浜残留を表明した。
ベイスターズ残留を決断した理由について、三浦さんは次のように語っている。
“最終的には、いろいろ考えた結果、「三浦大輔はどうしたいのか?」ということです。
野球を始めたころから、高校でも、プロに入ってからも、「強いところを倒して優勝したい」という気持ちが、いちばん強かった”
彼の心の底の選択は、強いチームに行って勝つのではなく、弱いチームのなかで、力を尽くして強いチームに勝つというものだった。
また、彼はこうも言っている。
“横浜や他球団を客観的に見られたし、FA宣言してよかった。
一生でいちばん頭を使った。
しんどい思いもしたけれど、本当によかった”
そして、決め手について、この一言も忘れなかった。
“横浜が好きだからです”
彼のこういう気持ちは、引退セレモニーでの
“これからも、三浦大輔は、ずっと横浜です。ヨロシク!”
という締めの一言にもつながっていると思う。
余談だが、テレビ神奈川で放送中のありあけのハーバーのCMでは、ハーバーを持った三浦さんが
“これからもずっと横浜です。ヨロシク”
とおっしゃっている。
三浦さんは移籍するか否かで悩んでいた際、親しい人から
“何が正解か、なんていうのはない。選んだのが正解だ”
というアドバイスをもらったとのこと。
どちらの道を選んでも、そこで精進して良い成績を残して正解にしていくのだ、という意味だろうと思う。
実際、三浦投手は残留決定後の2009年に2年ぶりの二桁勝利(11勝)を挙げるなど、2016年に引退するまでに48勝を積み重ねて、ベイスターズ残留という決断を「正解」にして見せてくれた。
【嶺井博希と三浦大輔の心の対話】
嶺井選手は2013年ドラフト3位でベイスターズに入団しており、2014年〜2016年にわたって三浦大輔投手とバッテリーを組んだこともある。
特にプロ入り2年目の2015年には8月中旬から7試合連続でスタメンで三浦投手をリードしている。リードすると言っても23年目のベテラン投手と2年目の新人捕手のことなので、嶺井選手の方が教わることがほとんどだっただろうと思う。
夏前は黒羽根捕手や高城捕手とのバッテリーが多かったのだが、後半はほぼ全試合で嶺井捕手とのマッチングになっており、チームとしての嶺井選手の重用という方針もさることながら、三浦さんも嶺井選手を育てて行こうという意図があったのではないかと思う。
その二人がこれから直接話し合う機会があるらしい。
三浦さんは嶺井選手とシーズン中のFA権取得時に会談し、それ以後はFAについて話していないとのこと。
“会えばもちろん話をしますよ。いろいろ思いはあります”
と語っており、伝えたいことはメディアを通じてではなく、“直接本人に伝えます”、ともコメントしている。
また、自身の2008年の経験を踏まえて、
“(嶺井は)まだ(提出したのは)昨日でしょ。宣言すること自体もいっぱい悩んだと思う。
いろいろ話を聞いて、また悩んで決断すればいい”
とも言っている。
この記事では、指揮官直々に遺留に乗り出すというような書き振りだが、それはどうだろうか?
2023年に25年ぶりの優勝を狙うベイスターズにとって嶺井選手のリードがどれほど大切かということは指揮官として伝えると思う。
しかし、それよりも、2008年の経験を踏まえて、自分の心の底にある本当に1番大事なものを見極めて決断しろよ、という趣旨のことを言うのではないだろうか?
嶺井選手にとって1番大事なものはなんだろう?
沖縄尚学と亜細亜大学でいずれも日本一を経験しているいわば野球エリートの嶺井選手にとって、「弱いチームのなかで、力を尽くして強いチームに勝つ」と言うことが最大のテーマではないのかも知れない。
いずれにしても、そう遠くない未来に嶺井選手自身の決断を我々は知ることになる。
そして、その決断がなんであろうと、彼がそれを正解にしようと努力する姿を見守り応援し続けようと思う。
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