mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

背番号44の系譜 佐野恵太から小深田大地に受け継がれるもの



11月15日 サンケイスポーツがベイスターズの若手を取り上げる特集“若き星たちよ”で小深田大地選手のインタビュー記事が配信された。


この記事で小深田選手自身が次のように語っている。


“入団時から(背番号)44番をもらったので、1年目から(前任者の)佐野(恵太)さんのことを追いかけて頑張ろうと思っていた。


仁志監督からも『長打率もあって、打点と打率にこだわって、その中で本塁打もたくさんとは言わないから2桁打てるような打者を目標に』といわれた。


理想は佐野さんを追いかけてこれからもやっていきたいので、見ながら勉強していきたい”


そう言えば、佐野恵太は現在の背番号7の前は44をつけていたっけ。


ベイスターズの背番号44と言うとタイロン・ウッズの記憶が残っているが、もっと他にもいたような気がすると思い、歴代の選手を調べてみた。


ホエールズの初期には投手が多く、ベイスターズになってからも石井裕也さんや現在ファームの投手コーチである大家友和さんなどの投手が44番を背負っていたが、ここでは野手に絞って代表的な選手を挙げてみよう。



【背番号44の先輩野手たち】


(1984〜1990年) 加藤博一外野手


西鉄ライオンズと阪神タイガースを経て大洋ホエールズに入団し、スーパーカートリオの一員として大活躍した加藤さん。


1985年はスーパーカートリオの3人合計で148盗塁と言う目覚ましい活躍を見せた。


今シーズンのベイスターズのチーム盗塁数が49、リーグトップの阪神でも110なので、この時の成績の凄さが良くわかる。


この年は加藤さん自身も48盗塁を挙げ自己ベストの記録となった。


1986年は規定打席には達しなかったものの打率3割を超え、プロ17年目で初のオールスターにも出場した。


1990年に引退した後は、明るくひょうきんなキャラクターを生かしてプロ野球ニュースなどで解説やキャスターとしても人気を博していたが肺癌のため2008年1月に56歳の若さで亡くなった。


その年の阪神との公式戦で加藤博一追悼試合が行われたのはつい最近のような気がする(歳のせいだね)。




(1993〜1996年) グレン・ブラッグス外野手


その後44番を受け継いだのは、スピーディーなプレーが売り物だった加藤さんとは真逆の大型スラッガー、元メジャーリーガーのグレン・ブラッグスさん。


長距離砲として4番を務め在籍4年間で通算91本塁打を放った。


1994年の35ホームランがキャリアハイで、この年はベストナイン、オールスター第二戦のMVPも獲得している。




(2003〜2004年) タイロン・ウッズ外野手


続いても長距離砲のタイロン・ウッズさん。


韓国のKBOリーグから入団し、1年目の2003年にはホームラン40本、2年目には45本で2年連続のホームラン王に輝いた。


その後の大幅な年俸アップの要求に当時のベイスターズは応えることができず、2005年に中日ドラゴンズに移籍し、2006年にはホームラン47本、打点144で二冠王に輝いた。


KBOとNPB両方で二冠王に輝いた選手は未だに彼一人だ。




(2005〜2008年) 小池正晃 外野手(一塁手)


松坂大輔や後藤武敏らと共に横浜高校で甲子園春夏連覇を成し遂げ、2000年にドラフト6位でベイスターズに入団した小池正晃さん(現一軍外野守備走塁コーチ)も2005年からドラゴンズにトレードで移籍する2008年まで背番号44をつけていた。


彼は勝負強いバッティングが持ち味で、2005年には20本のホームランを放つとともに、リーグトップの37の犠打を決めると言うTPOに合った打撃のできる選手だった。


2012年にドラゴンズから再びトレードで古巣ベイスターズに復帰したが、翌2013年に現役引退。その年の最終戦となった10月8日の阪神戦で2本のホームランを打ったのは小池さんらしかった。




【佐野恵太から小深田大地へ】


佐野選手は2016年にドラフト9位でベイスターズに入団したが、これはセリーグで最後の指名選手だった。


良く知られているように、予定では8名の指名で終えるはずだったが、当時の高田繁GMがもう1人採ろうかと言い出して、残った候補選手の中で最も打撃力の高かった佐野選手を指名したと言う逸話がある。


彼はひょっとしたら普通のサラリーマンになっていた可能性もあるのだ。


佐野選手はバッティングに関しては当初から2軍ではやることがないのではないかと言うほど優れていたが、1軍の壁は厚く、入団後2年間ほどは1軍と2軍の間を行きつ戻りつする立ち位置だった。


しかし、代打としての勝負強いバッティングでチーム内のポジションを確かなものとしていき、2019年後半からは主に外野手としてレギュラーの座をつかんだ。


渡米した筒香嘉智の後を継いで2020年からキャプテンに就任し、その年には打率 .328で首位打者を獲得。


今シーズンは最多安打のタイトルを獲得し、リーグ屈指の巧打者に成長した。




そして彼から背番号44を引き継いだ小深田大地選手は、甲子園優勝の輝かしい経歴を引っ提げて履正社高校から2020年ドラフト4位でベイスターズに入団した。


新人年だった昨年はプロの投手のストレートが全く打てずイースタンリーグのワーストとなる108三振を喫したが。2年目となる今年は打率 .275まで上げ、三振数も79に改善するなど成長を見せている。


仁志2軍監督も佐野選手に続くバッターとして小深田選手に期待を寄せているようで、入団後、2年続けてファームで最も多い出場機会を与えられているトッププロスペクトとなっている。


その小深田選手が佐野先輩について次のように言っている。


“佐野さんに打席の中でどんなことを考えているかを聞き『打率を残すには割り切りも必要だよ』って言ってもらった。


あとはジャイアンツ球場の2軍戦で『左投手のインハイをライト前に打ってくる』って言って、本当に2球目のインハイの直球をライト前に打ったので、さすがだなって思いました”


佐野恵太から小深田大地に引き継がれるべきものはこの短い言葉に集約されているように思う。


全打席でどう攻められてもヒットを打とうとするのではなく、相手投手と自分の特性や前打席の経過などを考えて最も可能性の高い配球を想定しイメージを明確にして打ち返す。


外れたら仕方ない。三回に一回うまくいけば打率3割以上だ。


”打率を残すには割り切りも必要だよ”と言う佐野選手の言葉はそんなことを言っているのではないだろうか?


何でも打とうとしてただ漠然と打席に立つのではバッテリーに対して受け身になってしまう。割り切ってヤマをはることも必要ということだろう。


高卒で入団した小深田選手は3年目の来シーズンでも未だ20歳。


佐野選手の入団した年齢よりも二つ下だ。可能性は大きく広がっている。


守るものなんて未だ何もない今だからこそ、割り切って勝負に出るバッティングを見せて欲しい。


それがベイスターズの44番だ。