mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

その後の仁義なき京田陽太



1月14日 年が変わって、各球団の選手たちが日本全国のさまざまな場所で自主トレーニングを開始したという情報が聞こえてくるようになった。


砂田投手とのトレードで中日ドラゴンズから11月に入団した京田陽太選手も千葉県習志野市にある母校日大野球部のグラウンドで自主トレを行なっている。


今年は野球人生のかかった勝負の年と言っている京田選手は、大晦日と元日以外は無休で練習を行なってきており、例年よりも2週間ほど早く調整が進んでいるとのこと。


昨日報道陣に公開した練習では、遊撃の位置で約1時間ノックを受け、ティー打撃や室内練習場でのマシン打撃などを精力的にこなした。


守備には新人の年から定評があり、本人もそこが自分のストロングポイントと認識している。


「守れなくなったら終わり」と言うのは、ショートの名手としてのプライドの現れでもあるだろう。


身長184cm、体重90kgと言う恵まれた体格は遊撃手としてはかなり大型であり、俊足も兼ね備えていることから、能力としては一流選手になるためのポテンシャルを十分に満たしている。


課題になるのはやはりバッティング。


プロ入り以来最低の成績に終わった昨シーズンの低迷も、きっかけとなったのはコーチ達に勧められたバッティングフォームの変更から生じた。



【仁義なき戦い 名古屋死闘編】


2021年まで京田選手は打率 .250前後でほぼフルタイムでショートを守る中軸選手としてドラゴンズを支えてきたが、2022年シーズン、状況は急激に変化した。


この年から監督に就任した立浪監督は同じく右打ちの遊撃手である京田選手に大きな期待をかけていたようだが、どこかでこの二人の間の歯車が狂ってしまった。



以前もこのブログで書いたことがあったが、立浪監督がトレードの決まった京田選手にかけた言葉というものが報道されている。


「ずっと頑固やったな。なんでそんなに頑固なんや? 去年の秋から言ってきたけど、お前変わらんかったな」


2人の間の会話がどうやってメディアに伝わったのか、どの程度正確なものなのかと言うのは大いに気になるが、もし本当にこう言う会話があったとすると、京田選手を頑固だと言う立浪監督も同様に頑固だったのではないだろうか?


今シーズンは4月から打率1割台と不振に喘いでいたが、立浪監督は守備力を評価していた。


8番ショートで出場を続けていたものの、5月4日の横浜スタジアムでのベイスターズ戦で大和選手の二遊間のゴロを内野安打にしてしまう拙い守備があると、次の打席で代打を送られ、試合途中であるにもかかわらず名古屋へ強制送還され2軍に合流することを命じられた。


「京田は戦う顔をしていなかった」


というのがその時の立浪監督のコメント。この言葉は今シーズンの隠れ流行語大賞だったと思う。


その後、2度ほど一軍に復帰する機会があったが、コロナ罹患といった不運もあり、定着することはできなかった。


その間に、チームは若手の土田龍空選手をショートのレギュラーとして育てる方針に転換し、京田選手はトレード要員として他球団との交渉が行われるようになった。


あまりにも急激な変化だった。


チームの若返りを図る立浪監督やドラゴンズ首脳陣の方針と京田選手の極度の不審とが重なってしまったために起きた双方にとっての不幸だったように思う。


しかし、結果として、立浪監督と京田選手の間には埋めようのない溝ができてしまったし、京田選手の心の中を計り知ることはできないものの、反発する気持ちが全くないとは考えにくい。



【その後の仁義なき戦い 横浜頂上作戦】


昨シーズンの立浪監督との関係から芽生えた京田選手の心の中の反発は、彼がドラゴンズに留まれば首脳陣への反抗などの好ましくない形で顕在化してしまう懸念があったが、今回のトレードでベイスターズの一員となった今、それは「自分の実力を古巣に見せつけてやる」と言う必死の覚悟に昇華することだろう。


こうした覚悟を持って古巣との対戦で活躍して打ちまかすことを、プロ野球界では、「恩返し」と呼ぶ。


京田選手の狙う恩返しとは?


(入団会見時のコメント)


「自虐ネタになりますけど、強制送還された場所に戻ってきた感じ」


「(古巣との激突では)僕が入ったことでコテンパンにできたらなと思います」


(昨日の公開自主トレ時のコメント)


「(本塁打パフォーマンス『デスターシャ』の披露について)やっぱり、ドラゴンズ戦でやりたいですね」


「まずは北谷で(2月25日に)試合がありますので、『今年の京田はやばいな』と思ってもらえるような活躍ができれば」



新人合同自主トレの初日に三浦大輔監督が新人達に伝えた「自分で考えて練習し、プレーすることの重要性」については、本ブログでも既に紹介しているが、京田選手もこの言葉をしっかりと受け止めていたようだ。


これまでは指導者から、テークバックの時のヒッチ(バットのグリップを小さく上げ下げする動き)の癖を直すように言われることが多かった。


移籍決定前の昨年10月から、1人で自分の構え、テークバック、ステップを洗いざらい見つめ直し、試行錯誤を重ねた結果、


「一番しっくりきたのが、ヒッチというか、この形でした。


確率よく打つために、自分にとって一番楽な形で構えたい。


本当にいろいろやりましたが、今はこれがしっくりきています」と手応えを語っている。


「僕の野球人生ですので、誰に何と言われても、しっかり自分の意思を持ってやっていきたい。


三浦監督もルーキーの子たちに言っていた通り、言われっぱなしではダメ。


しっかり自分で考えてやらないと。


責任を取るのは自分ですので、しっかり準備をしてキャンプに臨みたいと思います」


インターネット上に公開された京田選手の最新のバッティングフォームの動画では、グリップを低く構え、ヒッチでタイミングを取ることにより、心なしか以前よりも気持ちよくスムーズにバットが出て、鋭いスイングにつながっているように見える。



ファンのコメントでも、オリックスからMLB挑戦(ボストンレッドソックス)が決まった吉田正尚選手のような豪快なフォームになったと書き込んでいる方が多いようだ。


ベイスターズに入った京田選手にとって心強い味方がもう一人いる。


同じ左打者で遊撃の名手だった石井琢朗チーフ打撃コーチだ。


京田選手のトレードが決まってすぐに、石井コーチは彼と食事を共にしたそうで、その時にバッティングについても意見を交換することはあっただろう。


今回の京田選手のバッティングフォームの変更も石井コーチが知らないはずはない。


あくまで決定するのは京田選手が自己責任で、と言うことだと思うが、広島、ヤクルト、巨人でのコーチ歴、そして昨年のソト選手の再生などの事例を見ると、石井コーチはそれを尊重しながら最善の形にしていくような助言ができると思う。




頑張れ京田。


今や、君の夢はチームや我々ベイスターズファンの夢と同じ方向を向いている。


最後に、映画『仁義なき戦い』風に一言。


“立浪さん、弾はまだ残っとるがよぉ”