三嶋一輝の想いは翔ぶ 金色の翼に乗って
三嶋一輝投手のプロ野球人生は決して平坦な道のりだったわけではない。
むしろ、深い谷に落ち込んでそこから這い上がってくる姿の方が記憶に残っているくらいだ。
【三嶋一輝の歩いてきた道】
彼の投手としてのキャリアは順調な滑り出しを見せた。
2012年のドラフト2位で法政大学からベイスターズに入団すると、2013年シーズンでは新人ながら中継ぎでの一軍入りを果たし、5月からローテーションに定着して規定投球回を投げ切った。
6勝9敗と負け数の方が多かったが、この頃のベイスターズはいわゆる暗黒時代の真っ只中だったことを考えに含める必要がある。
奪三振率はその年規定投球回に達した投手中トップの8.92で、奪三振数も菅野智之投手(155個)に次いでリーグ2位の145個だった。
当時の彼のピッチングは、コントロールはかなりアバウトで四球が多いが、キレの良いストレートを中心に空振りの取れる投手という印象が強かった。
この年には、監督推薦でオールスターに出場し、また、オフの台湾戦で日本代表の一員として先発するなど、彼のプロ野球人生は前途洋々としたものに見えた。
しかし、翌2014年の開幕投手の大役を任されて神宮球場でのヤクルト戦に先発した彼は、1回裏だけで7失点、さらに2回にも失点を重ねて、2回9失点(自責点も9)という衝撃的なノックアウトを喫した。
ここから彼の最初の「谷間」が始まる。
結局、この年は5月初旬から10月まで、シーズンの大半をファームで過ごすこととなり、一軍ではわずか8試合の登板で1勝2敗、防御率 10.88という成績に終わった。
2015年には途中ファームに降格されたこともあったが5勝を挙げ、復活が期待されたが、翌2016年にはわずかに1勝、そして2017年には一軍での勝利なしという2度目の「谷間」を経験することとなる。
この頃、チームは初めてのCS進出、そして3位から下剋上での日本シリーズ進出と上り調子であっただけに、三嶋投手の存在感は徐々に薄れていったように感じる。
しかし、彼は不屈の精神でここから這い上がり、炎のリリーバーとして復活する。
2018年シーズンには救援投手に転向し、開幕から一軍に帯同する。そして、ラミレス監督の期待に応えて、ワンポイント、ロングリリーフ、敗戦処理などどんな場面でもマウンドに向かい、結果を出し続けた。
そして、シーズン終盤には、セットアッパーとして勝ちパターンの一角を占めるまでになった。
終わってみれば60試合に登板し、7勝2敗15ホールドとリリーフながら東克樹に次ぐチーム2位の勝数を記録した。
2019年も彼はフル回転した。
自己最多の71試合に登板し、5勝4敗23ホールド(自己最多)の成績でチームの信頼を揺るぎのないものにした。
2020年になると、不調の山﨑康晃に代わってシーズン途中からクローザーを務め、3勝0敗18セーブ、防御率 1.59と抜群の成績を残した。
2021年はクローザーの怖さを感じたシーズンでもあり、巨人戦特に亀井選手にホームランを喫するなど試合をひっくり返されることが何度かあり、途中でセットアッパーへと配置転換された。
それでも、59試合に登板して3勝5敗23セーブという成績は悪くない。
しかし、好事魔多し、とはこういう時に言うのだろう。
2022年に入ると春先から不調が続き、特にカープの西川選手に天敵のように打ち込まれることが目立った。
ファームで調整を続けていたが、下半身を庇うような投げ方は肩に負担がかかり、故障・抹消された。
昨年はそのまま一軍に復帰することはなく、8月30日に胸椎黄色靱帯骨化切除術を受けたことが球団から発表された。
これが彼の3度目の「谷間」だ。そして、彼はまだそこにいる。
【三嶋一輝のこれから】
2022年初頭の不調は胸椎黄色靱帯骨化症という難病の影響であったことは容易に想像できる。
いや、おそらく、その前年の配置転換の際も既にその影響は出始めていたのだろう。
その頃の日常について、三嶋投手自身が赤裸々に語ったことがあった。
“この順位を含めて、大事な時期に踏ん張れなかった、とずっと思っていた。
僕自身も初めてクローザーの場面で逆転されたり、同点を守れなかったり。
五つの負けが付いている。9年間で一番悔しい思いをした。
一番泣いたし、寝られなかったことも多かった”
“この前は、投球練習中に何でそこに投げられないんだ、と。
悔しくて、情けなくて。そんな経験は初めてだったし、人前で弱い姿は出したくない。
1人の時は泣いたり、暴れたり。そこで吐き出して切り替えていた”
プロ野球選手であるということ、特にチームの勝利がかかった重要な場面でマウンドに上がるセットアッパーやクローザーであるということはこんなにも大変なことなんですね。
しかし、「何でそこに投げられないんだ、と。悔しくて、情けなくて。そんな経験は初めてだったし、人前で弱い姿は出したくない。」という彼の苦悩は、病名が判明し、ミストという最新の手術を受けて改善する見込みが見えてきたこと(CTなどを使いながら1〜2cm程度の小さな傷口だけで骨化した箇所を取り除き圧迫されている胸椎を解放する施術で、患者の身体への負担は小さいためにリハビリ期間も短く、発症前の状態に戻ることができる可能性も高いとのこと)によって、むしろ救われたのではないだろうか?
三嶋選手は担当医に「手術を受ければ必ず治る」という力強い言葉をかけられ、このミストと呼ばれる手術を受けたそうだ。
手術は成功して足の痺れはなく、肩の違和感も解消しているとのこと。
横須賀のDOCKで行われた秋季練習では、40mのキャッチボールを行い、50mダッシュで5秒9という記録を出すなど体調に問題はないことが報じられていた。
三浦監督からもこの病気から完全復活する最初の一人になってくれと言われているようで、本人もそれを目指して前向きな気持ちでひたすら頑張っていることが短いコメントからも伝わってくる。
これまでも幾多の困難を乗り越えてきた三嶋投手は、きっと、道なき道と言われるこの病気からの本格復帰を果たして以前のような跳ね上がるようなダイナミックなフォームで最終回を締める活躍を見せてくれることだろう。
その三嶋選手は、8月の手術後の試合で、セーブを上げてお立ち台に上がった山﨑康晃投手が
“三嶋さんが本当に一生懸命闘っている中でブルペンとして一日でも早く復帰できるように。皆さん三嶋さんにエールを送っていただけると助かります”
とコメントしたことについて、
”本当に嬉しかった。
病院のベッドでゴロゴロしていて、球場にいない僕の名前をわざわざ出してくれて。
僕はすごくうれしかったです。感謝していますね。
これから先ずっと忘れないと思います”
と言っている。
年が明けてから、恒例の厚木の自主トレでも軽快な動きを見せ、既にブルペンでの投球を開始するなど、復帰に向けて調整は順調に進んでいるらしい。
そして、昨日、キャンプ初日はB班で調整する予定の三嶋投手を2月20日頃を目処にA班に合流させる考えであることが三浦監督によって明かされた。
三嶋一輝は3度目となる今度の谷間からも這い上がりつつあるようだ。
そう、三嶋一輝はもうすぐ帰ってくるのだ。
苦難に満ちた彼を励ますため、そして、彼の苦難を傍で見てめげそうになる私自身の気持ちを鼓舞するために、私はYou’ll never walk alone.という歌を思い出すことにしている。
この歌は、英国プレミアリーグの古豪リバプールの劣勢の時、サポーターが全員で大合唱する応援歌だ。
”嵐の中を
顔を上げて前を向き
暗闇を恐れず歩もう
嵐の先には
きっと金色に輝く空があり
ひばりが美しくさえずる
そうだ 歩き続けよう
希望を胸に
そうすれば君は決して一人にはならない
さあ一緒に歩もう”
(私が抜粋し適当に意訳したものです)。
だから頑張れ三嶋!
嵐の中を、暗闇を恐れずに進もう!
嵐の先にはきっと金色に輝く空が待っているのだ。
さあ、全国300万人(当社調べ)のベイスターズファンと一緒に歩もう!
君は決して一人にはならない
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