mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

苦労人の中川颯が新しい星になった日





甲子園で佐々木主浩と谷繁元信が抱き合って飛び上がりベイスターズの直近の優勝(最後の優勝とは言わない)が決まった1998年10月8日から2日後に中川颯投手は戸塚で生まれた。


地元ということもあり、中川投手は小学生時代からベイスターズファンだったらしい。


その頃、ベイスターズジュニアを受験するも不合格。これが最初の挫折だったかも知れない。


中学時代にはシニアチームに所属し、その頃にアンダースローに転向したということなので、下手投げ歴は長い。


中学生の投手にアンダースローへの転向を進めた方はその頃の指導者だろうか?


調べてみると、少年野球の指導者でもあったお父さんと2人で行っていた日々の特訓の中で自然に出来上がったフォームとのこと。


オーソドックスな投球スタイルで芽が出ずに消去法で選んだアンダースローではなく、なるべくしてなった自分に最もあったスタイルなのだ。


高校は県内の桐光学園に進学。桐光というのは確か桐蔭学園と関係のあった学校だったと記憶している。


桐光学園野球部も甲子園に出場したことはあるが、激戦区の神奈川県で常勝校という位置付けではないだろう。


中川投手はここでエース兼4番打者としてチームを牽引したが、甲子園には届かなかった。


高校時代に合計26本のホームランを打ったというのは今日の試合につながる異常に長い伏線だったのか。


その後、立教大では投手に専念し、4年次にはベンチ外も経験するなど好調ではなかったがドラフト4位でオリックスに入団。


オリックスでの経歴は新聞等で報道されている通り。


初年度はリリーフとして1試合のみ登板し、将来が期待されたが結局オリックスでの1軍登板はこの1回のみ。


翌2022年度は右肩の不調のためほとんど登板機会がなく、シーズン終了後に戦力外となって育成契約を結んだ。


2023年度の春はリハビリに充てたが、肩の不安のなくなった夏以降はウェスタンリーグで好投を続け、21試合、32回2/3、34奪三振、防御率1.38、WHIPは0.67という素晴らしい成績を残した。


しかし、投手層の厚さでは球界随一とも言われるオリックスのこと、再び支配下選手になることはなく2度目の戦力外を言い渡された。


思うに、このオリックス球団の判断には中川投手自身の将来への配慮があったのではないだろうか?


投手の豊富なオリックスでは今後も登板機会には恵まれないだろうが、他のチームであれば。


実際、ベイスターズの萩原統括本部長は戦力外となる可能性のある選手達の中で中川投手はリストの最上位に挙げられていた、と言っている。


こうした他球団の評価がオリックスの編成に届かないはずはない。


そして、昨年11月に中川投手のベイスターズ入団が発表され、記者会見が行われた。


本人の談話。


“地元が横浜ということもあり、実際にベイスターズのユニフォームを着てプレイすることが夢でもあったのでとても嬉しく思います。


ベイスターズは小さいときからかっこいいチームという印象がありますし、高校時代に慣れ親しんだ横浜スタジアムでプレーできることを楽しみにしています。


自分は変則投手ではありますが、ストレートの強さが持ち味だと思っています。


1998年以来の優勝に貢献できるように頑張りますので、熱い声援お願いいたします”



そして、ベイスターズには桐光学園時代にバッテリーを組んでいた大坪亮介さんがブルペン捕手兼用具担当として在籍しており、再び練習を共に行うという奇遇もある。




こうした紆余曲折の野球人生の中で苦労してつかんだアンダースローからの浮き上がる直球と精度の高い変化球、本人や周囲の人々の想いとともに中川投手はベイスターズでのキャリアをスタートさせた。


オープン戦では無失点イニングを重ねてアピールして1軍入りを果たし、当初はロングのリリーフ要員としてベンチ入り。


そこでも役目を果たし続けて、とうとう先発の機会を掴んだ。


4月30日の中日戦で先発した彼は、6回、被安打4、失点1でとうとうプロ入り初勝利を挙げた。


しかし、神様は彼には厳しく接する方針らしい。


次の先発となった5月11日の阪神戦では数年に一度というほどの強風の中でバックのエラーにも影響されたが、近本選手の満塁ホームランもあって3回、被安打10、9失点という屈辱のノックアウトをくらった。


マウンドを降りる時の中川投手の目は心なしか虚ろで、私は彼のメンタルを心配していた。


実際、それから1週間は悔しい時間を過ごし、ベイスターズのメンタルトレーナーである遠藤さんとも話をするなど精神面でのケアを受けていたようだ。


前置きが長くなってしまったが、今日、マウンドに立った中川颯と彼の周囲が歩んできた時間を理解していただく上では必要だと思う。


1回先頭の岡林選手の鋭い当たりにファーストのオースティン選手が素早く反応して飛びつき、ファーストライナーでアウトにしたファインプレーもあって、今日はバックに盛りたてられた。


初回は福永選手と細川選手にヒットを許したが無失点で切り抜け、その後、2〜4回はドラゴンズ打線をノーヒットに抑えた。



その間、ベイスターズは2回裏の攻撃で先頭の宮﨑敏郎のツーベースから山本祐大の犠牲フライで先制。


実に5月5日のカープ戦以来の先制点となった。


さらに、二死ながら京田陽太がレフト前ヒットで出塁すると、打席には桐光学園の4番中川颯。


ドラゴンズ先発の松葉投手の初球はタイミングを外すスローカーブだったが、踏み込んだ左足で壁を作り、真ん中に入ったこのボールを下から思い切り叩いた。



高く上がった打球は大きな放物線を描き、ライトスタンド中段のベイスターズ応援団席に呑み込まれて行った。


プロ入り後初めて、高校以来通算27本目のホームランはツーランホームランとなって彼自身にとってもチームにとっても大きな意味を持つ一打となった。


その後、中川投手は5回に初めてノーアウトの走者をヒットで出すと、その後もヒット2本と犠牲フライで2点を失い、3-2となったが、最後は二死二塁で福永選手をセカンドゴロに打ちとり、リードを守った。


6回にもマウンドに上がった彼は、細川、板山、ビシエドと強打の右打者2人を含む打順を三者凡退に退け、QSを達成して降板した。


その後、伊勢大夢、山﨑康晃、森原康平が1点のリードを守り切る無失点リレーを見せて接戦を勝ち切った。


初めてのお立ち台ではにかみながら笑う中川投手のフワッとした笑顔が印象的だった。



“この満員のお客さんの中でできることは幸せ。


しんどい思いも多かったけど、ここに立てていることをかみしめて今後も頑張っていきたい”




常に明るさを失わず努力する人には、神はちゃんと未来を準備してくれます


稲盛和夫