梶谷隆幸の引退と2017年の忘れ物
クライマックスシリーズが終わってから、このブログのアクセス解析を見ていると、過去の記事がかなり読まれていることに気がついた。
それは2017年の日本シリーズでベイスターズがソフトバンクと戦った時の記憶について書いたもので、ご存知の通り、結果は2勝4敗で日本一の夢は破れた(詳しくは以下の記事をご覧ください)。
https://mizuyashiki.muragon.com/entry/55.html
改めてこのシリーズの展開、特に3連敗の後に2連勝して迎えた第6戦の試合進行を見直してみると、当時のベイスターズの勢いとそれが一瞬にして押し戻されたあの瞬間の記憶が蘇る。
大阪夏の陣で敗色濃厚となった豊臣方の真田幸村が少数の手勢を率いて徳川家康の本陣まで迫り、家康自身も討ち取られることを観念したという最終盤の戦闘で、彼は辛くも脱出し、その後幸村は敗れて死んだ。
2017年日本シリーズ第6戦、9回裏二死まで3-2とリードしており、この試合に勝って3敗の5分で最終戦に向かうと誰もが思ったあの瞬間、山﨑康晃の投じたツーシームは内川選手にすくい上げられ、レフトスタンドに吸い込まれて行った。
あの無力感はなんだったのだろう。
勝負の分かれ目は紙一重だったと思うが、あの時、山﨑康晃はどうして打たれてしまったのだろうか?
ついでに言うと、彼の飛翔癖はひょっとするとあの時から始まったのかも知れない。
日本シリーズ進出を決めた試合後のビールかけでも、コメントを求められた山﨑康晃は「僕らには2017年の忘れものがあるので、それを取りに行かないと」と言っていた。
彼にとっての2017年の忘れものというのは、あの日の内川選手との対戦だったに違いない。
恐らく彼はあの時の自分の投球と内川選手のバッティングを誰よりも鮮明に記憶し、何度も反芻してきたことだろう。
彼は繰り返し問いかけたその質問に答えを出すことができたのだろうか?
9回裏に同点に追いつかれたベイスターズは11回裏川島選手のタイムリーヒットでサヨナラ負けを喫し、日本シリーズは劇的な幕切れとなった訳だが、あの時、ライトの前進守備の位置から必死の本塁送球も及ばずセカンドランナーの生還を許してしまったのは梶谷隆幸だった。
梶谷はその後肩の手術をすることになり、その故障を見抜いていたソフトバンクベンチがタイミングはアウトのランナーをあえてホームに突入させたのだろう。
ホーム手前でワンバウンドしたカジの送球は意外なほど大きく跳ねてキャッチャーは捕球できず決勝点が入った。
あの時のキャッチャーは、その後FAでソフトバンクに移籍した嶺井選手だった。
山﨑康晃と並んで悔しさを呑み込んで過ごした筈の梶谷隆幸が引退することが今日発表された。
誰もが認める身体能力と抜群のセンスを持つ走攻守に秀でた選手だったが、度重なる怪我に泣かされ、FAでジャイアンツに移籍してからは思うような活躍ができなかった。
私は以前、横浜スタジアムのエキサイティングシートでグラウンドと同じ高さで観戦していた際に梶谷選手がライトライナーをダイビングキャッチするところを真横から見たことがあり、彼の身体が完全に水平になっていることに驚かされたことがある。
ダイビングキャッチって本当にあんなに飛ぶんだ、と思った。
彼の移籍後にベイスターズファンになった方は彼の元チームメイトである高森勇旗さんが文春コラムに書かれた「走れカジ、俺の夢を乗せて」をお読み戴きたい。
https://bunshun.jp/articles/-/9267
何度読んでも泣かせる文章だ。
一軍のスターを夢見て朝から深夜まで練習に励む選手たちのひたむきさとカジの不器用な優しさが溢れていて、私はこのコラムはプロ野球関連の文章の中でも最良のものの一つだと思っている。
そのカジが引退か。
同学年で仲の良い宮﨑敏郎も随分と想うところがあるだろう。
梶谷隆幸に加えて、当時の主力だったホセ・ロペス、須田幸太や井納投手も引退し、致命的なエラーを犯してしまった倉本選手は戦力外からくふうハヤテへ。
あの時の正捕手格だった嶺井選手に至っては、今回はホークスの一員として出場することになる。
あの時のメンバーで残っているのは山﨑康晃、筒香嘉智、戸柱恭孝、そして宮﨑敏郎の4人だ。
彼らはその後台頭してきた若い世代の選手たちと力を合わせて2017年の忘れものを取り戻すことができるのだろうか。
そして私は、かつての暗黒時代が終わり、DeNAベイスターズとしての新たな道を歩み始めた2012年からの日々がもう既に歴史と呼べるほどの長さになっていることに気がつき、驚きと少しばかりの嬉しさを感じている。





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