優勝パレードを天高くから見守る人
雲ひとつない晴天の横浜でベイスターズの日本シリーズ優勝パレードが行われた。
ハンマーヘッドから横浜スタジアム前まで1.5kmの区間に詰めかけた観衆は30万人、単純計算して100mあたり2万人という凄い人数になる。
先導するリリーフカーに相乗りした三浦大輔監督と南場智子オーナー、木村球団社長と牧秀悟キャプテン、山中市長と大貫晋一選手会長に続いてラッピングバスに乗り込んだ選手たちが皆晴れがましい笑顔で沿道のファンたちに手を振っている。
選手たちは口々にこの素晴らしい光景に感動したこと、ファンから有難うと声をかけられてこちらこそ有難うございますと言ったこと、こんなに素晴らしいイベントを来年また経験できるように精一杯頑張ること、などを常よりも興奮した口調で語っていた。
1998年の時もそうだったが、ファンの中には遺影を掲げていた方も居られたようだ。
日本一になるのが二十何年ぶり、三十何年ぶりというのはこう言うことなのだろう。
その間に多くの選手たちが入れ替わり、チームの顔も変遷して行くことになるわけだが、我々ファンの人生だって否応なしに進んでいってしまうのだ。
そうしたことを踏まえた上で、南場オーナーはパレード出発時の挨拶でこう呼びかけた。
“今も天高くから見守ってくださっている往年のファンの皆さま”
その言葉を耳にして、私は思わず真っ青な空を仰ぎ見た。
そこには懐かしい顔が浮かんでいた。
私がベイスターズファンになったきっかけは、小学校2年生の時、同級生のおとうさんで熱心な大洋ホエールズファンだった方との出会いだった。
当時はジャイアンツのV9の最中で、東京中の少年たちは王選手や長嶋選手を英雄だと思っていたし、我が家でもご多分にもれず、巨人ファンの父が毎晩テレビでナイター中継を観ていた。
その友人のお父さんはダンディーな人で、旅行に出かけては旅先の風物を8ミリ映画におさめるという多趣味な方だった。
母親同士が仲良しだったこともあり、その友人の家族とは一緒に出かけることも多かったのだが、私としては、周囲には唯一の大洋ホエールズファンだったお父さんにとても興味があった。
そこで、ある日、恥ずかしがりながらも意を決して質問してみた。
“巨人が勝つことの方が全然多くて、みんなも巨人を応援しているのに、なんでオジさんは大洋を応援するの?”
その時のオジさんの答えが、その後のプロ野球ファンとしての私の人生を決めたと言っても良い。
“巨人は強くて、いつも勝つから応援しているというのはよく分かるし、それはそれで全然良いと思うよ。
でも、もう一つ別の考え方もあるんだよ。
なかなか勝てないかもしれないけど、勝つととっても嬉しいチームを応援したっていいんだ。
オジさんはそっちの方なんだと思う”
晩酌のかたわらテレビで巨人戦を観て、負けると口汚なく采配批判をしている父よりも、勝つととっても嬉しいチームを信じてひたすらに応援するオジさんの方がカッコイイと子供ごころに思った。
そして、その気持ちは今も変わらない。
オジさんは1998年の優勝を見ずに病気で亡くなってしまった。
もう大人になっていた私の同級生は最後に病室のベッドの上でオジさんと1mくらいの距離でキャッチボールをしたらしい。
私はその頃英国に住んでいたため、とうとうオジさんには会うことができなかった。
南場さんの言っていた“今も天高くから見守ってくださっている往年のファンの皆さま”の中の一人はこのオジさんであるに違いない。
オジさんはこの晴れ渡った横浜の空の下をゆっくりと進んでいく優勝パレードをいつものように穏やかな笑みを浮かべて見ているはずだ。
今日のこの素晴らしい瞬間は、なかなか勝てないかもしれないけど、勝つととっても嬉しいチームを信じて何年も何年も応援し続けてきたホエールズ・ベイスターズのファンへの最高のご褒美だ。
皆さん、おめでとうございます。
そして、オジさん、有難う。
オジさんのおかげでこんなに素晴らしい秋の日を迎えることができたよ。
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