mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

フェルナンド・ロメロのストレートの「のび」とゴロ量産



先日の記事で書いたように、今永昇太は多くの三振を奪い被打率は低いのだが被本塁打は比較的多い傾向であるのに対して、フェルナンド・ロメロはあまり三振はとれずヒットも打たれるのだが被本塁打は少なく防御率も良い。


そこで、この二人の傾向を「球質」の差という観点から考えてみることにしたのだが、今永について書いたあと、少し間が空いてしまったのでおさらいから始めようと思う(詳しいことは「CS最終戦 中田翔はボールを見て振ったのか (野球の科学)」と「今永昇太のストレートの「のび」と飛翔癖(野球の科学)」をご覧ください)。


(1) バッターはどうやってボールを打つのか?

バッターは打席で最後までボールを見ることはできず、リリース直後しか見えない状態でバッティングを行なっている。


プロ野球の一流選手の頭の中には膨大な種類と数の投球に関するデータが収納されていて、リリース時のピッチャーの肘と手首の動きやリリース直後のボールの動きを見て瞬時に脳内のデータベースから最も近い過去の事例を選び、その時の経験に基づいて、その後のボールの軌道と速度を予測する。

そして、この予測に基づいて、最適なタイミングで最適な場所でバットを振るのである。


(2) ピッチャーの球質はどうやって決まるのか?

ピッチャーの肘と手首の動きそしてリリース直後のボールの動きから優れたバッターが導く予測よりも速いか遅いか、高いか低いか、右か左か、何かしらズラすことができれば、空振りやポップフライあるいはボテボテのゴロに討ち取ることができる。


バッターの予測を裏切ることと優れたピッチャーの投げるストレートの「のび」や変化球の「キレ」とは密接なつながりがあり、こうした球質を考える際には次の3つがポイントになる。


• マグヌス効果

球体の近くを流れる空気の速度は球体が回転すると乱され、球体を動かす力が生ずる。

ピッチャーの投げるボールが曲がったり落ちたりあるいは浮き上がるように見えたりするのは全てこのマグヌス効果によるものである。


• 腕と手首の動き

プロ野球のピッチャーは腕と手を鋭く振ることによってあれだけ速いボールを投げる。そして、人間の体の構造上、腕と手の動きはそれぞれ肩や肘と手首という関節を中心としていずれも弧を描くようにしか動かせない。このため、腕と手を鋭く振ると指先は必ず弧を描いて「斬る」ような動き方にならざるを得ない。


• 回転数と回転軸

サイドスピンがかかっているボールはマグヌス効果によって左右いずれかに曲がり、トップスピンがかかっているボールは落ちる。バックスピンがかかっている場合はやはりマグヌス効果で揚力が生ずるためかかっていない場合よりも重力による落下幅が小さくなる(バッターからは浮いて見えることがある)。

ジャイロスピンというのはボールの回転軸と進行方向が一致している場合で、ライフルの弾丸やアメフトのボールのように直進性の高い(正確に言えば理想的な放物線を描くような)軌道となる。


(3)今永の球質

今永昇太の得意なストレート(フォーシーム)は強いバックスピンがかかっているためにマグヌス効果で揚力が生じている。

バッターの想定以上にホップの効いたストレートが来ると実際のボールの軌道よりも低い位置を振ってしまうため空振りやポップフライになる。今永の高い奪三振率はこのことを表している。

しかし、バックスピンの効いたボールがバットに当てられると打球にもバックスピンがかかり打球は落ちて来ずに遠くまで飛ぶ(軽いボール)。


おさらいはこれで終わり。今日はジャイロスピンから考えてみたいと思う。


上にも書いたように、ジャイロスピンというのは、ボールの進行方向を軸としたライフルの弾丸のような回転で、曲がったり落ちたり浮いたりというボールの変化には全く寄与しない。


ジャイロボールというもの(あるいはコンセプト)がある。1995年に手塚一志さんが指摘したもので、回転が100%ジャイロ成分だけであるようなボールだ。


バックスピンのかかったホップする(ように見える)ボールが「のびる」ボールの一つだと言ったが、意外なことに、このタイプのボールは速くない。

正確に言うと、バッターに近づくにつれて減速しやすい。これは、バックスピンによって生ずる空気抵抗がボールにブレーキをかけるためだ。


優れたバッターの脳内のデータベースには平均的なスピードボールの球速と軌道がインプットされていて、これは平均的なバックスピン成分を持つボールである。

この平均的なボールを基準に考えた場合、ジャイロボールはどこが違うか?


バックスピンが無く空気抵抗が小さいためあまり減速しない。MLB平均だと普通のストレート(フォーシーム)の初速と終速の差が10km/h程度なのに対して、ジャイロボールはその半分以下だそうだ。

と言うことは、初速しか見ることのできないバッターからすると、思ったよりも早くホームベースまで来るので振り遅れ「差し込まれる」と感じることになる。これがホップする速球とは別のタイプの「のびる」ストレートだろう。


差し込まれてしまうのでもっと早いタイミングで合わせようとすると、同じスピードのストレート(フォーシーム)のようにホップ成分がないため、軌道は予想よりも下になる。

つまり、ボールの上を振ってしまいボテボテのゴロになる。芯に当たっても、バックスピン成分がないため、フライボールのように上がってくれない(重いボール)。


ものすごく長い前置きになってしまった。もう少しお付き合いください。


フェルナンド・ロメロの球質については、MLB時代の2016~2017シーズンのものだが下の図のような情報がある(MLBの全選手についてのこうしたデータの質と量は驚かされる)。





結論から言うと、MLB平均よりもストレートが速く、そしてホップ成分(バックスピン)が小さい。また、全球種においてシュート回転のサイドスピン成分が含まれる。


ここからは私の推測なのだが、彼の球質は、ジャイロ成分が大きく、ホップせずに減速もあまりしないものなのではないかと思う。

そして、彼のフォームが通常のスリークォーターよりもやや低い肘の位置であることから考えると、シュート側に傾いたジャイロ回転の軸からトップスピン成分が生じていて、特にツーシームの握りの場合はいわゆる高速シンカー(MLBで言うところのsinking fastball)に近いボールになっているように思える。


そこで、通常のストレートの脳内情報に基づき予測して振ってくるバッターからすると、先程のジャイロボールの場合のように、思ったよりも早くホームベースまで来るので振り遅れ「差し込まれる」と感じ、また、同じスピードのストレート(フォーシーム)のようにホップ成分がないため、ボールの上を振ってしまいボテボテのゴロになる。


フェルナンド・ロメロは今永昇太のように胸のすくような空振り三振を量産することはないかも知れない。しかし、極めて現代的な「勝てる」投手になる資質を持っているように私には思える。


そして、彼は帰国の際にこう言っているのだ。


「残念ながら短いシーズンとなりましたが、みんな最後までベイスターズらしく終わろうと頑張ったと思います。ファンの皆さまからの多大なサポートには本当に感謝しています。Love Yokohama Fans チョコチョコロメちゃんより」


来年こそ一年を通じて彼の活躍に期待し、精一杯の声援を届けようぜ。

優しい名伯楽小谷正勝さんがコーチのコーチに就任

大洋、ヤクルト、ロッテ、巨人の投手コーチを歴任し名伯楽の誉れが高い小谷正勝さんがピッチング部門のコーチングアドバイザーとしてベイスターズに入団することになった。


小谷さんは1967年に國學院大学からドラフト一位で大洋ホエールズに入団し、その後、球団初のクローザーとして活躍された。


江夏の9連続三振で有名な1971年のオールスター第一戦で四人目の投手として最後に登板し、8人の打者を無安打4三振に抑え、継投でのノーヒットノーランを達成した。

長いオールスターの歴史でも後にも先にもこの時しかないと言う快挙である。


小谷さんは引退後ホエールズのスカウトや二軍投手コーチをつとめた後1982年から1987年まで一軍投手コーチとして遠藤一彦や斉藤明雄がエースの座を確かなものとするのを支えた。


その後、前大洋監督の関根潤三さんがヤクルトに移って監督となり招かれて1987年から1989年までスワローズの一軍投手コーチをつとめたが、小谷さんの去った大洋では投手陣が崩壊したため、大洋の投手陣が球団に対して「小谷コーチを戻して欲しい」との嘆願書を出したと言う話がある。


関根さんは小谷さんのことをとても高く評価していて、「僕が認める野球人の一人が小谷正勝。ピッチングコーチとしてはピカイチで、指導の引き出しがいくらでもあるところがすごい。引き出しが多いから、いろんな選手に『右向け右』をさせられる。しかも、指導がわかりやすい。その選手が一番理解できる言葉で話すから、選手にとってこんなありがたいことはない」と言っている。


1990年に関根さんがヤクルトの監督を退任すると横浜の一軍投手コーチに戻り、そこで、斎藤隆(新一軍投手コーチ)、三浦大輔(現監督)、盛田幸妃(奇跡のリリーバー)、佐々木主浩(大魔神)、野村弘樹(1998年優勝時のエース)を育てた。


この頃のことを主戦キャッチャーだった谷繁元信はこう言っている。

「小谷さんが1995年に退団した後も、横浜から相談に行く投手が多かったのではないか。そのように推測できるほど、選手個々の全てを把握していた。長所を伸ばしながら短所を修正させる教え方で、投球メカニズムに関する見識も高く、(捕手である自分にも)具体的に指導してくれた」


1996年からは再びヤクルトのコーチとして、内藤尚行、川崎憲次郎、五十嵐亮太、石川雅規という黄金時代から今につながる名投手たちを育てた。


その後は巨人やロッテでも投手コーチを務め、内海哲也、山口鉄也、宮國椋丞、二木康太

、西野勇士、唐川 侑己などを育てた。


2019年に巨人で8勝をあげたメルセデスは、夏場の二軍調整中に小谷から受けたアドバイスを紹介している。

「テンポのいい投手というのは、いわゆる『ちぎっては投げる』ピッチャーではなく、勝負所でベンチもキャッチャーもバックで守っている野手の念じた通りのコースで(相手の打者を)抑えられるピッチャー」と言われたそうで、このアドバイスを噛み締めながら、母国でトレーニングに励んでいたそうだ。


以前、このブログでも、盛田幸妃投手の7回忌の日に小谷さんの以下のインタビュー記事を取り上げたことがあった。


「投げてきますわ」とマウンドに行って、本当にあのシュートで落合をひっくり返してもまだ、投げ続けていた。7球とか8球も続ける度胸があった。まともに打たれた記憶がないんだよな。ヒットもカンチャンで、ライト前に落ちるっていう。当時はホールドという概念が生まれたばかりで、やりがいに感じていた。


今となっては反省が残ってしまう。9回に佐々木(主浩)がいて、8回は盛田。7回を安心して任せるピッチャーを作れなくて。どうしても負担が大きくなってしまった。で、近鉄にトレードになってから脳腫瘍が分かった。「知っててトレードに出したのか」と問い詰めたら、誰も知らなかった。「足がつる、けいれんする」と言ってたんだ。まさか脳に…知識が足りなかった。


近鉄でカムバック賞を取った。あれだけ大きな病気をして戻るだけでもすごいのにな。「小谷さん、もうオレは昔みたいに速い球を投げられる体じゃありません。でも投球って何かと言えば、いかにバッターのタイミングを外すか…それがようやく分かりました」と話してきた。実際に変化球でゴロを打たせるスタイルにガラッと変えたんだけど、そういう感性があった。相当、努力したんだろう。


当時のベイスターズは年の近い子が多くて、にぎやかでね。キャンプで朝まで戻ってこなくて心配してたら、上半身裸で帰ってきてさ。体中にマジックで落書きが書いてある。「お前は一体、どこで何をしてきたんだ」って…あの頃は本当に楽しかった。亡くなる10日くらい前、危篤になってから見舞いに行ったときに佐々木と野村(弘樹)も来てくれて。あの子らは仲が良かったから。優しいなと思った。


一流になる選手というのは非常に繊細で、人の気持ちも分かる。技術だけじゃトップにはいけない。感性が豊かじゃないと。盛田も、特に佐々木なんかもそうだけど、普段はとにかく威勢がいいから、そこしか見えない人は誤解する。でも実際はまったく違う。マウンドとは、虚勢を張らないと戦えない場所でもある。3人を見てそんなことを考えていた。


盛田には弟がいて、小学校に上がる前にがんで亡くしている。かわいがっていたらしい。手を合わせてから毎日グラウンドに出ている話を聞いて、やっぱり優しい、繊細な子だなと思ったよ。もっと早く気付けばとか、若いうちから検査を受けろ…言ってたけど、もっと強く言えば良かったとか…後悔しても遅いな。(以上、日刊スポーツ 宮下敬至さんの記事より

https://www.nikkansports.com/m/baseball/column/kunikaraheisei/news/201902230000182_m.html?mode=all)


このインタビューで小谷さんは盛田幸妃や佐々木主浩そして野村弘樹たちを優しくて繊細な子たちと言っておられるが、そう思うのは小谷さん自身が一番優しくて繊細だからだと言うのが記事を読んでよくわかる。


昨年巨人を戦力外になった宮國椋丞がベイスターズに育成契約で入団しその後支配下登録を勝ち取って一軍でも勝利したのは記憶に新しいが、小谷さんはご自身のがんの手術後にもかかわらずかつての教え子の宮國投手の自主キャンプにつきあい、復活を支えた。優しい人だ。


優しい名伯楽の小谷さんが入団し、かつての教え子たちに今度はコーチのコーチとして指導されるというのは本当に名案だしうれしい話だ。

それにしても今オフのコーチ陣のテコ入れはいまだかつてないほど良く計画されそして実行されていると思う。


最下位に終わった今年だが、そんなことはとっくに忘れ、来年のことを考えるとワクワクして楽しみでならない。


小谷さん、ご病気に気をつけて無理せずそして長く指導を続けてください。


タクロー・イシイの青い鳥




あるところに、貧しい木こりの家庭がありました。2人の子どもがいて、兄はタクロー、妹はイシイという名前です。


クリスマス前の夜、彼らのもとに魔法使いのおばあさんがやってきました。2人は魔法使いから「私のチームが貧打で苦しんでいる。貧打を治すために『幸せの青い鳥』を見つけてきてほしい」と頼まれます。


鳥かごを持って出かけたタクローとイシイ。妖精に導かれながら、さまざまな場所を訪れます。


最初に行ったのは、「思い出の広島」。2人はここで、引退したはずの赤ヘル軍団の人たちに出会いました。青い鳥がこの国にいることを教えてもらい、タクローとイシイは手に入れることに成功します。しかしその青い鳥は、「思い出の広島」を出たとたんに毛むくじゃらのスライリーへと変わってしまいました。


チルチルとミチルは次に、希望にあふれた「未来の神宮」を訪れます。ここでも青い鳥を手に入れたものの、「未来の神宮」を出たとたんに今度はフリップ芸をするペンギンのように大きなツバメに変わってしまいました。


その後FA資金を死ぬほど持っている「贅沢のドーム」などへ行きますが、どうやっても青い鳥を持ち帰ることができません。


そんな時……。

「起きなさい。今日はクリスマスですよ」

お母さんの声が聞こえ、2人はベッドの上で目を覚ましました。


とうとう青い鳥を捕まえることができなかった、とがっかりしていると、横須賀にあるDockという鳥かごの中に青い羽根を見つけます。

そしてタクローとイシイは、本当の幸せは手の届く身近なところにあるのだということに気づいたのです。


タクローとイシイは横須賀で言いました。


「外に出て色々なものを勉強してきた。ここにいたときは井の中の蛙だったけど、大海原に飛び出していった。漂流してまた井の中に帰ってきた。ただいまって感じ」


そして、


「知っている監督、コーチ、スタッフがおられるので、またこうして青いユニフォームに袖を通す機会を与えてくれたDeNAに感謝してます。おそらく木こりとして年齢的にもここが最後になってくる」


と、骨を埋める覚悟も示しました。


「出ていったときにやり残したこと、自分がやらなきゃいけないものがあった。ここにいるときはどちらかと言ったら自分の成績、ファンの声援、年俸と、与えられたまま出ていってしまった。逆に今度はチームに良いものを残せたらと思います」


と恩返しを誓いました。


私は石井琢朗が懐かしい故郷で本当の青い鳥を見つけることを心から祈っている。

そして必ずそうなると信じている。