mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

宮﨑 敏郎には不動の軸がある

9月29日 対ヤクルト(神宮球場)  7-5 勝ち


2018年6月 

ロペスが腿裏の肉離れ、梶谷は腰痛、ソトは体調不良で既に離脱していた。

そして、とうとう筒香も背中の張りで欠場し、ベイスターズの打線は前年首位打者の宮﨑が一人で支えることになった。


当時、宮﨑以外は若手選手ばかりで、横須賀ベイスターズと呼ばれたチームは、その状態のまま交流戦でパリーグの強敵を迎え撃つこととなった。

宮﨑は素晴らしい選手だが、筒香のように周囲を鼓舞して引っ張って行くタイプではない様に見えた。緊急事態の中で若手選手たちは萎縮してしまうのではないかと思ったし、実際、そう見えた時もあった。しかし、若手ばかりのチームはそれなりに安定して行き、交流戦をなんとか乗り切った。


私はチームの中にいたわけでは無いので、推測することしかできないが、慌てず騒がず黙々と自身の仕事を全うする宮﨑を見続けることで、若手は落ち着くことができたのでは無いだろうか?宮﨑 敏郎はその時、チームのただ一つのブレない太い軸だったと思う。


こんなこともあった。

球団の公開する、シーズンの舞台裏を描く恒例のドキュメンタリーFor Realの中の1シーンだ。

宮﨑は負傷し、一人では歩けないような状態でベンチ裏に戻ってきた。トレーナーの方々は、怪我の状況を見て、「明日は厳しいな、1日休んで様子を見よう」と言っている。しかし、宮﨑は、「いや、出るっす」と言う。「そうか、じゃあ今晩様子を見て明日決めよう」となだめる。それでも宮﨑は、「いやっ、絶対出るっす!」と言って全く聞こうともしない。その強い口調と覚悟を見て、私は意外な感じがした。温厚に見える彼の真ん中には、絶対動かない軸があるんだなと思った。


昨夜の試合で、宮﨑 敏郎は通算100本目のホームランを放ち、チームは7つの連敗からようやく脱出した。大卒で社会人を経て入団した選手では球団初だそうだ。

そして次の打席でもホームラン。通算101本目だ。軸足を中心にクルッと回転して内角のボールを驚くほど遠くに飛ばす。彼にしかできない打撃だ。ヒーローインタビューで今後の目標を聞かれ、102本目を打つことです、とニコニコしながら飄々と答えていた。



宮﨑 敏郎選手 本当におめでとうございます。どれほど心配し、祈っても、何もすることができない一ファンである私がオロオロしそうになる時に、いつも、あなたのプレイを見ると、横須賀ベイスターズの若手がそうだったように、落ち着きを取り戻すことができました。




宮﨑 敏郎は今年でFAの権利を手にした。プロ野球選手として長年チームに貢献して得た権利なので、本人の思う通りにして欲しいと思う反面、複雑な気持ちもないわけではない。


昨年、梶谷がFA権を得て、最終的にはジャイアンツの一員となるまでの過程で、私は毎日モヤモヤしていた。そんな中で、ある日、井伏鱒二の屋根の上のサワンという小説を思い出した。主人公である「私」が、ある時、怪我をした白鳥を見つけ、連れ帰って手当てをする。サワンという名前をつけて世話をして行くうちに、「私」はサワンのことがだんだん好きになってくる。時が過ぎて、白鳥たちが故郷に帰る頃になると、空を飛ぶかつての仲間たちの声を聞き、籠の中のサワンは悲しそうに鳴く。「私」はサワンを手元に置いておきたいと思い、見てみぬふりを続ける。しかし、次第に、自分自身の独占欲よりも、サワンの幸せを大事に思う気持ちが芽生えてくる。そして「私」はサワンを送り出す。サワンが仲間達と飛び去って行くのをずっと見ている。

そんな内容だったと思う。恋から愛へと気持ちが変わっていくプロセスなんだろう。


私は梶谷隆幸を送り出すことにした(梶谷選手の意思決定には全く影響しないことだが)。そして、ジャイアンツの中で、梶谷選手だけはこれからもずっと応援しようと思った。


宮﨑 敏郎はこれから、自身の軸をどこに置くことにするのだろうか?マスコミの報道では、地元九州のソフトバンクも候補になっているそうだ。彼は彼らしくじっくりと考えて、決断するのだろう。そして一度決めたら絶対にブレないだろうと思う。先のことは私には何も分からない。しかし一つだけはっきりしていることは、私が彼の決断がなんであれそれを支持し、そして、彼がどこに行ってもずっと応援し続けるということだ。

東克樹と私の心のヨロイ

9月28日 対ヤクルト(神宮球場)  0-4 負け


5回裏二死満塁でバッターは青木。
その前の打者の塩見から三球三振をとったところだ。最後のアウトローの糸を引くようなストレートは素晴らしかった。
しかし、青木には前の打席でさんざん粘られていたので、目は慣れているだろう。
危険な匂いがする。


マウンド上の東克樹は、低めの変化球で一つストライクをとった後、大きく息をついた。
私は画面に見入りながら、東投手の息づかいまで身近に聞こえるような奇妙な臨場感を覚えていた。


会ったこともないこの青年のことを、私はなぜこんなに身近に感じるのだろうか?


幼い頃、大人達のことが不思議だった。毎日あまり楽しくもなさそうな仕事をして嫌なことやトラブルもあるだろうに、子供の様に泣いたり怒ったりすることもなく、淡々と役目を果たしている。私は自分がそう言う大人になれるのか不安だった。


自分が大人になってみると、仕組みが分かってきた。大抵のことが起きても大丈夫な様に、喜怒哀楽をあまり表に出さず、役割を演じることで、仕事をちゃんと進めていく。
その内側にいる本当の自分は、子供の頃とあまり変わらず、泣いたり笑ったりする人格のままなのに。
歳を経て経験を積んでくると、自分の心の周囲にあるこの「役割」というヨロイはどんどん強く厚くなって行く。百戦錬磨だ。しかし同時に、このヨロイは本当の自分ではないということもよくわかってくる。


だから、私は心のヨロイに孔をあけることにした。ベイスターズという孔だ。彼らが勝ったり敗けたりするたびに、平気な顔をしたヨロイを通り抜けて本当の自分に直接届いてくる。私は子供の様に泣いたり笑ったりする。


東克樹投手は私の心のヨロイの内側にいるのだ。


小柄な彼がルーキーイヤーのキャンプで遠い距離のキャッチボールをするところを動画配信で見た時に、彼の投ずるボールの力強さに驚き、そして、大袈裟に言えば感動したのだ。



頼れるルーキー 東克樹



東投手が去年の2月20日に左肘のトミージョン手術を受けてから、私はずっと待っていた。
今年になってキャッチボールを始めたというニュースを見た。その後も時々Twitterを覗いて近況を知った。
4月21日 手術後はじめて捕手をすわらせて投球しました。
4月24日 捕手の方にすわっていただいて初めて変化球を投げました。
5月9日 初めて打者に投球しました。
7月11日 ようやく実戦(二軍戦)に復帰しました。
徐々に復活しつつあることを知り嬉しかった。捕手をすわらせて、から捕手の方に座っていただいて、に変わったことも嬉しかった。投球以外にも成長しているのだろうと思った。


そして今日、東は767日ぶりに一軍のマウンドに立った。


青木への2球目は外角低めへのスライダーだったと思う。
そんなに甘いボールには見えなかったが、青木が一枚上だった。流し打ちの打球は風にものってレフトスタンドに吸い込まれて行った。満塁ホームランだ。
ここで東は降板。これが767日ぶりの彼の晴れ舞台だった。


この短い時間の出来事は、私の心のヨロイを突き抜けて、子供の頃と変わらないむき出しの自分自身に突き刺さった。立ち直るには、いつものように、2時間程度の有酸素運動で汗をかき、プロ野球スピリッツでかたきをとり、そして酒なども飲むことが必要だろうと思う。


しかし、私には、このショックよりもずっと大きな喜びがある。


そうだ。東克樹がとうとう帰って来たのだ。

タイラー・オースティンの逆転満塁弾は空砲ではない

9月26日 対広島(横浜スタジアム)  8-10 負け


今日は随分とアップダウンの激しい試合だった。


牧がツーランを打ち、三嶋が打たれ、オースティンが逆転満塁弾を打った。そして9回表に山﨑康晃が炎上して敗けた。その都度、歓喜の声をあげ、そして苦い想いを呑み込んだ。


これまでにもこうした試合は何度もあったと思う。いや、実際にあった。ついつい、いつもの様に、記憶の中にあるベイスターズの酷い敗け方カタログからサンプルを取り出して比べてみたり、いやいや、まだあの時ほどは酷くないと自分に言い聞かせようとしそうになるが、それが良くない傾向であることは経験的にわかっている。


夜になって、今日の試合の記事が神奈川新聞にのった。


「DeNAオースティン、逆転満塁弾も空砲とは」


カナロコに会員登録しているので、すぐ目に入るのだ。会費を払って不幸のお知らせを受け取ることが多い。今シーズンは特にそうだ。


プラスの後にマイナスがあると、相殺してプラスは無かったことになるのだろうか?
マスコミの扱う「情報」としては確かにそうだろう。しかし、当事者(と今日は呼ばせてもらおう)にとってはそう言うことにはならない。


私はこれまで生きてきて、わずかな成功と膨大な数の失敗を繰り返してきた。合算すると、マイナス51.2だ。多分そうだ。しかし、そんな計算は私自身にとっては何の意味も持たない。私はプラスとマイナスのそれぞれを、つまり、喜びと悲しみと耐えがたい悔しさの一つ一つをおぼえている。そして、それらは決して相殺されない。


野球の話に戻ろう。


今日の試合で7回裏無死満塁からセンターにホームランを打ち込んだ時の、あのタイラー・オースティンのプライドに溢れた顔は、野球の試合の中で唯一、相手チームの誰も何の対策も取ることができないあの滞空時間での誇らしい表情は、その後惨めに逆転され試合に敗れても決して私の脳裏から離れることはない。そして、森下のカーブを完璧に捉えた牧のあのスイングの軌道も私は忘れない。勿論、呆然と虚空を見ていた三嶋の眼も悲しげにうつむいていた山﨑康晃の横顔もしばらくは忘れられないだろう。


野球というゲームは、総合点を競うものなので、得点と失点はそれぞれ合算することになる。8対10で2点差の負けだ。でも、私は今書いた一つ一つの出来事を合算して相殺してしまいたくはない。私にとって、タイラー・オースティンの逆転満塁弾は空砲ではない。


ベイスターズはこれからもたくさんのプラスとたくさんのマイナスを私に見せてくれるだろうと思う。そして、私は彼らと共にそのひとつひとつに喜び、泣く日々を送ろうと思う。