mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

グッド・バイ



毎年、ドラフト直前のこの時期が好きではない。


戦力外通告があるからだ。


今年はチームがCSに出場していたこともあって、同シリーズ期間と重なる第一次戦力外通告期間には球団からの発表は何もなかった。


しかし、プロ野球チームが新たな戦力を発掘して競争力を高めて行くためには、新陳代謝、つまりある期間を経過して芽の出なかった選手やピークを過ぎて年俸と釣り合うような働きができず他チームとのトレードも困難なベテラン選手を戦力外とすることが不可欠となる。


従って、CS終了翌日以降の第二次通告期間に誰も戦力外となる選手がいないと言うことはあり得ない。


それは良く分かっている。


分かってはいるが、やはり悲しくそして寂しい。


今日は日曜日で球団本社は休みなので、通告は明日、月曜日だと思っていたところ不意打ちで各社が一斉に報じたのは今回戦力外となった以下の7選手の名前だった。


三上朋也
倉本寿彦
高城俊人
有吉優樹
山下幸輝
宮本秀明
浅田将汰


事前に各方面で予想されていた顔ぶれであり、意外と言うことは無いが、この中には、私自身忘れられない名前も含まれている。三上、倉本、高城の3選手だ。



【千手観音投法の元クローザー 三上朋也】



三上投手は法政大学から2013年ドラフト4位で入団し、2014年には不調のソーサ投手に代わって新人ながらクローザーの大役を務め、21セーブの球団新人記録(当時)を樹立した。また、この年には監督推薦でオールスターゲームにも出場している。


三上投手の特徴は、オーバースロー、スリークォーター、そしてほぼサイドスローと言う三段階の腕の振りでストレートを投げ分け、スライダーも横に滑るものと縦に鋭く落ちるものなど多彩だった。


ストレートの球速はキャリア後半で最速154km/hを記録したが、威力と言う意味では、新人の年のスライダー回転の球速140キロ台中盤のストレート(まっスラ)が最も優れていたように思う。


決してコントロールの良いピッチャーではなかったが、マウンド上では常に強気で物怖じせず投げ込む姿が印象的で、時として長打を許して撃沈することはあったものの、気迫で抑えこむメンタルの強さを感じた。


2015年には右肘の炎症で出遅れ、その間、新人の山﨑康晃がクローザーとして台頭したため、主にセットアッパーの役割を担った。


2017年には山口俊の後を継いで選手会長に就任し、19年ぶりとなる日本シリーズ進出の原動力となったブルペンを支えた。


その後も肘の故障は何度かあり(高速スライダーの使い手はどうもこのパターンが多い気がする)、徐々に準勝ちパターンと言う位置付けになっていったが、代わってリリーバーの柱となっていった三嶋一輝の法政大学時代の先輩と言うこともあり、ブルペンの精神的支柱であり頼れる兄貴と言う位置付けになっていったと思う。


この点を考えれば、球団は彼に何らかのポジションを申し入れている可能性がある。彼が引退という決断を下してベイスターズで後進の指導やアナリストなどの職に就くのか、あるいは他チームで現役続行を模索するのか、未だ何も情報は無いが、今後も彼の野球人生を応援して行きたいと思う。



【熱い闘志を内に秘めた漢 倉本寿彦】



倉本選手は横浜高校で筒香嘉智の一年先輩にあたり、彼ら2人を擁する横浜高校は2008年夏の甲子園でベスト4にまで勝ち進んだ(準決勝で浅村栄斗率いる大阪桐蔭に敗れた)。


この当時の動画は今でもYouTube等で見ることができるが、倉本選手が信じられないほど痩せていて驚く。


その後、創価大学に進み現ヤクルトの小川泰弘投手と同期のチームメートとなるが、大学卒業時のドラフトでは指名されず、社会人の日本新薬に進んでそこから2014年ドラフト3位でベイスターズに入団した。


高校時代の恩師である渡辺監督は、この時、「まさか倉本がプロに行くとは思わなかった」と仰っていたが、これは倉本選手の評価をおとしめているのでは無く、彼の尋常ではない努力を讃えているのだと私は理解している。


彼のキャリアハイは2016年。この年は主にショート、6番打者として141試合に出場し、打率 .292と言う遊撃手としてはかなり高い水準の成績を残している。


また、守備範囲が狭いと言う問題があったため守備指標UZRは低かったが、守備率は .989とリーグ2位の成績を残した。ラミレス前監督はこの確実性を重視していたと言う証言もあるようだ。


2017年にはチームの正遊撃手として日本シリーズに出場したが、敵地での初戦に敗れて迎えた第2戦、1点リードで迎えた7回裏一死一塁の場面で今宮選手のゲッツーにおあつらえ向きのセカンドゴロに対して、柴田竜拓からの送球を落球して併殺が成立せず、チームの逆転負けにつながった。


倉本選手の悲哀と負の印象はこのプレーが主な原因になっているように思う。しかし、このプレーを見返してみると、柴田選手の送球が不必要に速くそして低いことが目に付く。


私はこの歴史に残るエラーは倉本選手のみではなく二遊間2人で負うべきものではないかと考えている(交差点事故の責任に100-0は無し、とか言うじゃないですか)。


倉本選手のちょっと不貞腐れた様に見える表情と時折見せる緩慢にも映るようなプレー(交流戦で茂木栄五郎選手の平凡なセカンドゴロをセーフにしてしまったこともあった(ただし、この場面もファーストのロペス選手が一塁ベースに戻るのが遅く送球を少し待ったのが原因に様にも見えた))などから、ネット上では彼のプレーを巡って炎上することが度々あった。


しかし、何度か見せた一塁へのヘッドスライディングの様に、彼はポーカーフェイスの表情からは伺うことのできない熱い闘志を持っていることが明らかだし、異常なほどの努力をする人であることも良くわかる。


昨日の報道によると、球団は彼に来春の引退試合を打診しているようだが、本人の胸中はどの様なものだろうか?


彼の決断が何であれ、私はこれからも彼を応援して行こうと思う。


だって、ベイスターズが初めてのCSそして日本シリーズに進出したあの5〜6年前の時代、ショート倉本無しにはベイスターズの躍進は考えられなかったじゃないか。




【強肩強打の凄いやつ 高城俊人】



仲の良いチームメイトだった筒香嘉智が「高城みたいなお嫁さんが欲しい」と言う趣旨のことを言っていた。


この言葉が彼の大事な部分を良く言い当てている様に思う。


2011年ドラフト2位で九州国際大学附属高校から入団した高城選手は高校レベルでは出色の捕手で、まさに強肩強打の凄いやつという彼の応援歌通りの評判だった。


しかし、プロ野球選手、特にキャッチャーというのはプロとしての経験と知恵そして高い技術が求められる難しいポジションだ。


本来、彼は数年間はファームで徹底的に鍛え、それから一軍に上げて行くべきだったが、当時のチーム事情がそれを許さず、新人年から一軍に帯同することとなり、プロ野球人生を通じて一軍の第二あるいは第三捕手と言う位置付けに留まった。


冒頭に述べたように、彼のチーム内での盛り上げときめ細かい心配りそしてコミュケーション能力は高く評価されており、捕手としての彼の長所である「壁性能の高さ(難しいワンバウンドのボールなどを身体も使って止める力)」もあって、力はあるが落ちるボールの得意な荒れ球のピッチャーの専属捕手となることが多かった。


初代は山口俊の専属で、彼がFAでジャイアンツに移籍してからは濵口遥大の専属となった。


特に濵口投手とのバッテリーは評価が高く、この2人は2017年の日本シリーズではソフトバンクに三連勝されて後が無くなった第4戦で8回途中までノーヒットノーランと言う新人投手として前代未聞の快挙を成し遂げた。


この試合では、高城選手自身、一軍公式戦2年ぶりのホームランを含む3安打3打点でハマちゃんを援護した。


この試合は彼のキャリアの中で燦然と輝く頂点だったと思う(何だそれだけか、と言う人は、一つの栄光も無いままプロ野球を去って行く選手の数をかぞえて呆然としてもらいたい。ぜひそうしてくれたまえ)。


その後、2018年シーズンの途中に、白崎浩之と共に伊藤光、赤間謙との交換トレードでオリックス・バッファローズに移籍した。


当時の球団公式DVDでこの日の高城選手が記録されているが、選手やコーチ、監督はもちろん、日頃ユニフォームの洗濯をしてくれていた球場内のクリーニング室のオバちゃんなど裏方さんの一人一人に丁寧に挨拶をし、泣きじゃくりながらチームを離れていった姿がいつまでも脳裏に残っている。


2019年にオリックスを戦力外となると、2020年シーズンからベイスターズに復帰し、再び濵口遥大の専属として6勝を挙げた。


2021年と今年は一軍での出場機会がほぼ無いまま今日に至る。


29歳で2度目の戦力外。皆から愛される高城選手は自分の今後についてどの様な判断を下すのだろうか?


彼こそ、何らかの形でベイスターズにかかわる職に就いて欲しいと思うし、同じ考えの人は球団内部にもきっと多くいることだろうと思う。





“まことに、相逢った時のよろこびは、つかのまに消えるものだけれども、別離の傷心は深く、私たちは常に惜別の情の中に生きているといっても過言ではあるまい。”


太宰治 グッド・バイ