大敗の後に批判的なことを言うのは容易いことだけれど
水は低きに流れ、人は易きに流れる。
今日のような試合の直後は、石田健大には所詮先発は無理だとか、今日のライアン小川のようにカットボールで攻められると打線が完全に沈黙してしまうのは打撃コーチに策がないせいだとか文句の一つも言いたくなる。
しかし、それではファンの一分が立たない。
一分というのは決して譲ってはいけない志だと思っている。
そもそも、水が低きに流れるように野球チームを応援するのであれば、まさかベイスターズを選びはしないだろう。
少なくとも私にとってベイスターズを応援するということは、誰から頼まれた訳でもないのに数十年にわたって今年こそは優勝だと信じて声を嗄らすことは、むしろ重力に逆らって水が滝を遡るような行為だと思っている。
だから、そこには志の力がなくてはならない。
大敗の後こそ、志をしっかりと持って流れる水に逆らって屹立する必要がある。
合計20安打を浴び13点を失っても、当方の得点は2回裏に二死から山本祐大の詰まった当たりで奪った1点だけという惨敗でも、選手たちが明日の試合でやり返す気持ちを持っている限りはまだ本当に負けた訳ではない。
昨日、「俺たちはあきらめが悪い」という新たなビジュアルが球団から発表されたが、そもそも諦めるなどということがあるはずがないのだ。
私の畏敬するドサ健(阿佐田哲也さんの小説「麻雀放浪記」の登場人物の一人です)は、高額の賭け麻雀に挑んで、店や家の権利書も叩き売り、切っても切れない間柄の恋人も女衒に売り渡すほど大負けしたが、その時に言っていたじゃあないか。
“俺たちゃこれで生きてるんだ。
死ぬまでやるのさ。
負けるってのは、つまり死ぬときのことなんだ”
だから明日はやり返してやろう。
頑張れハマちゃん。
先週わずか2イニングで4点を失って降板した悔しさを忘れずやり返してくれ。
もし明日やられても、火曜日からの中日戦で3タテしよう。
それもダメなら次のカードでやり返すんだ。
今年優勝できないなら来年必ず優勝しよう。
選手たちがあきらめが悪いと言うなら、我々ベイスターズファンだってこれで生きているんだ。
死ぬまで応援するのさ。
優勝できないって言うのは、つまり死ぬときのことなんだ。
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