mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

回り出した東克樹と山本祐大の未来が





うっかり忘れていたが、東克樹投手と山本祐大捕手は2017年ドラフトで入団した同期である。


東投手は立命館大学卒(卒論のテーマは「球場によってマウンドからホームベースを見た時の角度と距離における視覚的心理の変化」)で1995年生まれ。


山本捕手は高校卒業後、内定していた大学進学をとりやめてBCリーグ滋賀ユナイテッドから入団した1998年生まれということで、学年で言うと3つ離れていることになる。


東克樹はドラフト1位でベイスターズが一本釣りに成功した逸材。一方の山本祐大はドラフト9位で、その年の支配下登録選手の中で一番最後(82番目)の指名だった。



入団時の東投手のコメント。


“プロ野球界ではかなり小柄な部類だと思うんですけど、小柄な体格でも活躍できるということを証明して、小さな子どもたちの憧れとなれるような投手になりたいです”


“1年目で10勝というところと、10年以上プレーするということで、目標は「二桁」の2文字に設定しました”


山本捕手のコメントは、やや扱いが小さく、


“1軍でレギュラーになり、横浜スタジアムのホームベースを守れるようになりたい”


と言うもの。


思えば、これが二人のプロ野球選手としての原点だった。



【2018年】


この年の春季キャンプで遠投をする東克樹のフォームとボールの強さをテレビで観て、これは凄い新人が入って来たものだと思ったことを良く覚えている。


私のこうした予感は得てして外れることが多いのだが、東投手に限っては第一印象通りの活躍を新人の年から見せてくれた。


4月に巨人戦で2勝を挙げると、5月には甲子園で初完封勝利。


6月までに6勝を挙げ、監督推薦でオールスターにも出場した。


結局、この年は規定投球回に達してチームNo.1の11勝(5敗)を挙げ、防御率もリーグ2位の2.45と言う素晴らしい成績をおさめてその年の新人王に輝いた。



一方の山本祐大は新人合同自主トレをインフルエンザで欠場するなど出遅れたが、5月に途中出場で初マスクを被り、8月の広島戦で代打として初打席を迎えた。


この時はツーランホームランを放ち、初打席初安打がホームランと言う非常に幸先の良いスタートをきった。


しかし、その後、未成年にも関わらず飲酒していた事実が発覚して謹慎となり、結局この年はこの一打席のみで終了。


打率10割、出塁率10割、長打率4.00でOPSは理論的最大値である5.00を記録すると言う瞬間最大風速としては最強の成績を残した。



【2019年】


順風満帆だった東克樹のキャリアに暗雲が立ち込めたのはこの年だった。


自主トレの時期から左肘の炎症のため思うような練習ができず、ファームでの調整が続いた。


5月に1軍に復帰したが、得意にしていた読売戦で3回8失点と炎上するなど、この年は4勝2敗と言う悔しい結果に終わった。そして、彼の肘はこの間も悲鳴を挙げていたのだろうと思う。


山本祐大はイースタンリーグの試合で頭部に死球を受けるなどもあり出遅れたが、7月にシーズン2度目の一軍登録を勝ち取ると、8月のヤクルト戦で延長12回裏二死満塁で代打として打席に立ち、見事にサヨナラヒットを放つ勝負強さも見せた。



この年は結局12試合に出場し、12打数4安打と言う成績だった。



【2020年】


東投手の左肘は限界だった。


春季キャンプ中に靭帯の損傷が明らかとなり、2月20日にトミージョン手術を受けた。


ここから彼の長いリハビリが始まることになる。


山本祐大にとっても、この年は雌伏の時だった。


1軍での出場はわずかに2試合。ノーヒットのままシーズンを終えた。


しかし、イースタンリーグでは捕手としてチーム最多出場を果たし、打率も2割台後半と良好だった。


また、持ち前の強肩を活かしてリーグトップとなる盗塁阻止率 .691を記録するなど、プロのキャッチャーとしての基礎が出来上がった年だったと思う。



【2021年】


ようやくリハビリを終えた東投手はこの年のシーズン戦最終盤、9月28日のヤクルト戦で767日ぶりに1軍の復帰登板を果たした。


この夜、私は本ブログの二つ目となる記事「東克樹と私の心のヨロイ」を書いた。


一部引用してみよう。


“東投手が去年の2月20日に左肘のトミージョン手術を受けてから、私はずっと待っていた。


今年になってキャッチボールを始めたというニュースを見た。


その後も時々Twitterを覗いて近況を知った。


4月21日 手術後はじめて捕手をすわらせて投球しました。

4月24日 捕手の方にすわっていただいて初めて変化球を投げました。

5月9日 初めて打者に投球しました。

7月11日 ようやく実戦(二軍戦)に復帰しました。


徐々に復活しつつあることを知り嬉しかった。


捕手をすわらせて、から捕手の方に座っていただいて、に変わったことも嬉しかった。投球以外にも成長しているのだろうと思った。


そして今日、東は767日ぶりに一軍のマウンドに立った。


青木への2球目は外角低めへのスライダーだったと思う。


そんなに甘いボールには見えなかったが、青木が一枚上だった。流し打ちの打球は風にものってレフトスタンドに吸い込まれて行った。


満塁ホームランだ。


ここで東は降板。これが767日ぶりの彼の晴れ舞台だった。


この短い時間の出来事は、私の心のヨロイを突き抜けて、子供の頃と変わらないむき出しの自分自身に突き刺さった。


立ち直るには、いつものように、2時間程度の有酸素運動で汗をかき、プロ野球スピリッツでかたきをとり、そして酒なども飲むことが必要だろうと思う。


しかし、私には、このショックよりもずっと大きな喜びがある。


そうだ。東克樹がとうとう帰って来たのだ”



この年の彼の成績は1勝2敗だったが、投球内容は復活を予感させるものだった。


翌年の活躍を誰もが期待していたが、現実はそんなに甘くないことを思い知らされることになる。


山本祐大はこの年自己最多となる51試合に出場し、リード、盗塁阻止ともに捕手としての実力アップを印象付けたが、バッティングは不調で、打率 .131と低迷した。


この年のオフにレーシック手術を受けたのも、打撃成績を憂慮してのことだったのかも知れない。


【2022年】


最有力候補だった今永昇太が開幕直前に左前腕部の肉離れで離脱したため、やや消去法的に東克樹が開幕投手となったが、その試合では指のマメをつぶすアクシデントで途中降板し、そのまま敗戦投手となった。


その後も調子が上がらず、コロナによる離脱などもあって1勝6敗と言う不本意なシーズンを過ごした。


チームは2位でCSに進出したが、中継ぎとしてブルペン待機していた東克樹の出番は最後まで無く、敗退後は悔し涙を流したと言う報道があったと記憶している。


山本祐大はフェルナンド・ロメロ投手とバッテリーを組んで3月29日にチーム初勝利を挙げた。


また、4月には上茶谷大河投手のマダックスをお膳立てするなど、リード面では成長が見られたが、打率は1割スレスレのレベルで推移し、後半はファームで過ごすこととなった。


前年のオフにレーシック手術を受けて視力は改善していたはずだが、この年の彼のバッティングフォームは無駄な動きが多く、スイングも弱かったと思う。


この頃の私は、若手の研究者の論文にダメ出しする時に、「山本祐大のバッティングみたいに軸がブレブレじゃあないか」などと言っていたのをフト思い出した。



【2023年】


そして今シーズン、東克樹と山本祐大の二人はバッテリーを組んでセリーグの強打者たちに立ち向かうことになった。


東投手はオープン戦序盤は打ち込まれることが多かったが、開幕直前に突如復調し、4月6日の初先発となった読売戦で7回無失点で勝利投手となった。


同月30日の中日戦では自身初のマダックスを達成するなど前半戦だけで8勝を挙げ、5年ぶりとなるオールスター出場を果たした。


後半戦も勢いは止まらず、遠藤一彦さんの持つ球団記録と並ぶ12連勝を飾って16勝(3敗)の最多勝、さらには最優秀勝率のタイトルを手にした。


9月、10月の月間MVPも初受賞。


シーズン最終戦となった10月4日の読売戦では8回1失点で敗戦投手となり、CS初戦も8回2失点でチームを勝たせることができなかったが、ここは来季の目標として取っておこう。


そして、この二人に最高の栄誉の知らせが届いたのは10月24日。





“この賞を頂くことができ非常に嬉しく思います。


2人でしっかりとコミュニケーションを取って打者と向き合ってきた結果がこのような形になったので凄く祐大に感謝したいですし、祐大のおかげです!”


“このような素晴らしい賞を受賞でき、本当にうれしく思います。


ほとんど実績のない自分を信頼して投げてくれた東さんのおかげですし、東さんが自分を成長させてくれました。


またバッテリーだけではなく、守ってくれている野手の方々あってこその受賞なので、チームメイトの皆さまにも本当に感謝しています。


これからもチームの勝利に貢献していけるよう、全力で頑張っていきます“



東克樹投手、山本祐大捕手、最優秀バッテリー賞受賞、おめでとうございます。


二人とも良いことばかりの野球人生ではなかったけれど、結果が出ない時も一途に励んできた努力の賜物だと思います。


来年は相手チームも研究してくることと思いますが、さらにその上を行く工夫で益々活躍されることを心からお祈りしています。