mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

京田陽太は横浜でもう一度京田陽太になる



12月5日 かねてからアナウンスされていたことだが、砂田投手とのトレードでドラゴンズからベイスターズに移籍した京田陽太選手の入団会見があった。


トレードの一報を聞いた時の本人の気持ちは「驚いた反面、嬉しい思いもありました」とのこと。


また、現在の心境について、次のように語った。


「やっぱり野球選手である以上は試合に出ないと意味がないと思う。


こうやってチャンスをくださったベイスターズには本当に感謝でいっぱいです。


今日の会見でベイスターズの一員になりますので、楽しみでいっぱいです」


ドラゴンズが阿部、京田という二人の主力選手のトレードを相次いで決めた時は、


「立浪監督が「若い」投手を要求したら「涌井」投手が来た」


「三浦監督が「強打」の遊撃手を要求したら「京田」遊撃手が来た」


とか言って弄られていたが、私は京田選手の加入はベイスターズにとって大きな意味を持つことになると考えている。



【2017年の輝き】


京田選手は石川県出身で東北の競合青森山田高校に入学し、その後、日本大学に進学して3年時には東都大学リーグのベストナインに輝き、4年になると主将に任命された。


4年時の秋季リーグでは打率 .328、盗塁11の好成績を残して大学日本代表に選出され、吉川尚輝選手と二遊間コンビを組んで日米大学野球選手権に出場した。


この年、日大野球部は25年ぶりの東都大学1部リーグ優勝を果たしている。


2016年ドラフトでは中日ドラゴンズから2位で指名されて入団した。この時のドラフト1位は明治大学の柳裕也投手だった(ベイスターズと競合したが抽選の結果ドラゴンズが交渉権を得た。ベイスターズは神奈川大学の濵口遥大投手を一位指名)。


2017年は新人遊撃手の当たり年で、セリーグでは京田選手が、そしてパリーグでは西武ライオンズの源田壮亮選手が新人ながら遊撃手のレギュラーの座をつかみ、いずれも新人王に輝いた。


源田選手の全試合フルイニング出場の快挙には僅かに及ばなかったが、143試合中141試合に出場し、セリーグの新人で唯一規定打席に到達するというタフネスぶりも発揮した。



身長184cm、90kgという大型遊撃手である。


ショートという負担の大きいポジションをフルタイムで務めながら、球団新人記録となったシーズン149安打を放った打撃も魅力だった。


京田選手の2017年シーズンの成績は


打率 .264、出塁率 .297、OPS .652、盗塁23(盗塁死13)、失策14


というもので、新人の遊撃手としては最上の滑り出しだったと言える。


この年はラミレス監督率いるベイスターズが2年連続2回目のCS出場から下剋上での日本シリーズ進出を果たした年だったが、ドラゴンズの京田選手は俊足・好守・巧打の遊撃手として一際目立つ存在だったと記憶している。


ハマちゃんは新人投手ながら10勝を挙げて、通常の年であれば新人王は間違いないところだったが、京田選手の活躍があったために受賞は叶わず、代わりに新人特別賞を手にすることになった。


この年のベイスターズの新人には、佐野恵太キャプテンがいる(ドラフト9位)。


今回の京田選手のトレードが決まった時、同期である佐野選手は当時のことを振り返って、当時から京田選手は輝いていて、新人からレギュラーで活躍できるのを羨ましく見ていた、とコメントしていた。



【2022年の挫折】


その後、2021年まで京田選手は打率 .250前後でほぼフルタイムでショートを守る中軸選手としてドラゴンズを支えてきたが、今シーズン、状況は急激に変化した。


今年から監督に就任した立浪監督は同じく右打ちの遊撃手である京田選手に大きな期待をかけていたようだが、どこかでこの二人の間の歯車が狂ってしまった。


以前もこのブログで書いたことがあったが、立浪監督がトレードの決まった京田選手にかけた言葉というものが報道されている。


「ずっと頑固やったな。なんでそんなに頑固なんや? 


去年の秋から言ってきたけど、お前変わらんかったな」


2人の間の会話がどうやってメディアに伝わったのか、どの程度正確なものなのかと言うのは大いに気になるが、もし本当にこう言う会話があったとすると、京田選手を頑固だと言う立浪監督も同様に頑固だったのではないだろうか?



今シーズンは4月から打率1割台と不振に喘いでいたが、立浪監督が守備力を評価していた。


8番ショートで出場を続けていたものの、5月4日の横浜スタジアムでのベイスターズ戦で大和選手の二遊間のごろを内野安打にしてしまうまずい守備があると、次の打席で代打を送られ、試合途中であるにもかかわらず名古屋へ強制送還され2軍に合流することを命じられた。


「京田は闘う顔をしていなかった」


というのがその時の立浪監督のコメント。この言葉は今シーズンの隠れ流行語大賞だったと思う。


その後、2度ほど一軍に復帰する機会があったが、コロナ罹患といった不運もあり、定着することはできなかった。


その間に、チームは若手の土田龍空選手をショートのレギュラーとして育てる方針に転換し、京田選手はトレード要員として他球団との交渉が行われるようになった。


あまりにも急激な変化だった。


チームの若返りを図る立浪監督やドラゴンズ首脳陣の方針と京田選手の極度の不審とが重なってしまったために起きた双方にとっての不幸だったように思う。



【新しい背番号は98】


京田選手の入団にあたって、多くのベイスターズファンと同様、私も彼の新しい背番号は伊藤裕季也選手のトレードによって空席となっている4番になるものと予想していた。


しかし、彼が選んだ番号は98番。


彼の親しい友人でドラゴンズのチームメイトだった木下雄介投手のつけていた番号だ。


木下投手はコロナワクチン接種後、トレーニング中に倒れ急逝。その後チーム全員が彼の死を悼む言動を続けているが、家族ぐるみの付き合いをするなど親しかった京田選手は特に強くその想いを持っていたようだ。


そうか、そういう考え方もあったな。


私は京田選手の人柄はあまりよく知らなかったが、この件を見るだけでも、心のある人なんだということがよく分かる。


だったら、ベイスターズの仲間だ。


彼自身、


「元々、横浜スタジアムは好きだったので、相性も良かったですし、まぁ、自虐ネタになりますけど、強制送還されたところにまた戻るっていう、楽しみな部分もあります。」


と言っているようで、ユーモアのセンスも横浜っぽい。


トレード決定後、ドラゴンズのファンフェスティバルにサプライズで出場した京田選手が打席に立つと、MC役の高橋周平選手から「闘う顔しろよ」と弄られ、同期の柳投手からレフト前ヒットを打って出塁した際にデスターシャを決めたところなど、ベイスターズの選手を見るような明るさだった。



京田選手もマリオカートが趣味だそうなので、佐野選手たちは勿論、サワヤンゲームズの元祖デスターシャもよく知っているのだろう。前からやりたいと思っていたのではないだろうか?


今日の入団会見でも、報道陣の声に応じてデスターシャやI⭐️YOKOHAMAといったポーズを決めていた。


京田選手が横浜の地でもう一度新人の時と同様、いやそれ以上の輝きを見せる日が近いという予感を持っているのは私だけではないだろう。


「(中日戦は意識するか、という質問に対して)今年ベイスターズにこてんぱんにやられていますので、僕が入って、もっとこてんぱんにできたらなと思います」





”「今が出発点」 これがずっとぼくの座右の銘です。


いつも今が新しい出発点。


今からでは遅すぎる、と思い込んだら何も始まらない”    志茂田景樹