祝 ラミレス前監督が野球殿堂入り
1月13日 ベイスターズの前監督であるアレックス・ラミレスさんがプレイヤー部門で殿堂入りを果たしたことが野球殿堂博物館から発表された。
外国人選手の殿堂入りは、戦前に巨人軍などで活躍したヴィクトル・スタルヒン投手以来63年ぶりとのこと。
【殿堂入りした外国人選手たち】
スタルヒンさんは、ロシア帝国陸軍将校だった父上がロシア革命時に亡命した際、ご家族と共に来日し、旭川で育った。
1934年の日米野球における秘密兵器として半ば強制的に旧制旭川中学を3年で中退させられ、大日本東京野球倶楽部(のちの読売巨人軍)に入団した。
191cmの身長という当時では破格の高身長から投げ下ろす快速球は、当時の打者たちがこぞって「2階から投げ下ろされているよう」と形容したものだったらしい。
通算303勝176敗、奪三振1960、生涯防御率 2.09という素晴らしい数字を残したが、特に、1939年のシーズンに挙げた42勝という記録、そして未だにNPBの記録である通算83完封を達成したことはこれからも球史に永く残ることだろう。
敵国からの亡命家族ということで、1957年に40歳で交通事故で亡くなるまで日本では生涯を通じて無国籍の白系ロシア人という立場のままだった。
野球ファンには愛されたが、無国籍であるということ、敵国のロシア出身でスパイ疑惑をかけられたこと、父上が殺人事件で有罪となっていたこと、などから日本での生活や野球選手としての活動には難しい面が多かったと思う。
事故死から3年後に追贈された野球殿堂入りの報せは、プロ野球ファンのリスペクトを現すとともに、この国がしばしば彼に対してとった苛烈な対応の罪滅ぼしに少しでもなっただろうか。
今日の発表で殿堂入りが明らかとなったのは、次の3名の方々だ。
プレイヤー部門 アレックス・ラミレス(有効投票355票中290票獲得(81.7%))
エキスパート部門 ランディ・バース(有効投票154票中121票獲得(78.6%))
特別表彰 古関裕而
古関裕而さんは2020年の連続テレビ小説「エール」のモデルとして有名だが、早大野球部の第一応援歌「紺碧の空」、全国高等学校野球大会の大会歌「栄冠は君に輝く」、阪神タイガースの球団歌「大阪(阪神)タイガースの歌(通称、六甲おろし)」、読売ジャイアンツの球団歌「巨人軍の歌(通称、闘魂こめて)」という野球関係の4大応援歌の全てを作曲した方なので、とっくに殿堂入りを果たしているものと思っていた。
ランディ・バースさんもラミレスさんと並んで63年ぶりの外国人選手としての殿堂入りということになった。
言わずと知れた、阪神タイガースの球団史上初となる日本一(1985年)の立役者で、この年に彼を含むクリーンアップが巨人の槙原投手から放った「3連続バックスクリーンホームラン」は未だに時折テレビで放映されている。
バースさんのキャリアハイは、優勝した1985年の54本塁打、134打点、翌1986年の打率.389、OPS 1.258という数字だろう。
今年の村上宗隆選手のOPSが1.168なので、バースさんの成績がいかに凄いものだったかがわかるというものだ。
引退後のバースさんは、米国に帰って、オクラホマ州選出の上院議員を4期にわたって務めるなど政治家としても大活躍された。
【オイ! オイ! アーレックス・ラミレス】
皆さん覚えているでしょうか?
これは、2020年シーズンまで、ベイスターズが勝利した後にスタンドの応援団や我々ファンが歌っていたラミレス監督の応援歌の歌詞(?)です。
あれから2年以上が経ち、ラミちゃんねるを主催するYouTuberとしても有名になったラミレスさんをご家族と一緒にテレビなどで見かけることも多い。
そういえば、NHKのみんなで筋肉体操にも武田信治さんたちと一緒に出演していたっけ。
ラミレスさんはベネズエラの首都カラカスの近郊にある小さな村の出身だが、その村の人口はわずか200人ほどで、そのうち約3/4がラミレスさんの親族だそうだ。
その小さな村から、リトルリーグ、ベネズエラ国内リーグ、米国のマイナーリーグ(ベネズエラリーグの試合に出場していたところを視察していたクリーブランド・インディアンズのスカウトに見出された)、MLB(1998年メジャーデビュー)とステップアップし、アメリカンドリームを掴みかけた。
しかし、インディアンズから移籍したパイレーツで打撃コーチとの確執等がありスタメンを外れるようになった時に、燻っていたラミレスさんにヤクルトの在米スカウトが目をつけ、来日。
その後は我々がよく知っているように、ヤクルト、巨人、横浜の3球団に所属して以下のような素晴らしい成績を収め、外国人選手として唯一の名球会入りを果たしている。
1744試合出場
2017安打(名球会入りの基準を満たす)
380本塁打
生涯打率 .301
最多安打3回、本塁打王2回、打点王4回、首位打者1回、最優秀選手賞2回、ベストナイン4回
ラミレスさんが選手としてベイスターズに入団したのは、現役最晩年の2012年で、その年は137試合に出場し、打率 .300、19本塁打、76打点とまずまずだったが、翌2013年は不振(打率 .185)に喘ぎ、56試合の出場にとどまってオフに戦力外となった。
従って、私にとっては、選手としてよりも監督としてのラミレスさんの方が印象に残っている。
参謀として常に彼とともにあった青山道雄コーチは、ラミレス監督について、
「自分の信念を貫く監督です。
とにかく選手たちを強く信頼していて、そういった部分では頑固者かもしれません。
バントをしないなど、いろいろと批判を受けましたが、ラミレス監督はそれを承知の上で、データに基づいて采配しています」
と語っていた。
ラミレス監督の好んだ采配としては以下が挙げられる。
・送りバントをしない
・強打の2番打者
・8番ピッチャー
・バッテリー防御率や球場別成績といったデータの重視
・イニング途中での投手交代を含むマシンガン継投
・申告敬遠の多用
これらはいずれも当時の解説者たちやファンの一部から酷評されていたが、チームの総合力(WAR)に基づいて予想される勝率を上回ることも多かったため、単なる奇策とばかりは言い切れないと思う。
そう言えば、広島戦の延長11回に嶺井に替えてバッティングの良いウィーランド投手を代打に送り、フォアボールを選んでその後の倉本選手のサヨナラ打につなげたこともあったっけ。
監督就任当初目指していたスモールベースボールをチームの構成や主力選手たちの特性などから早々と諦め、現状のチームで勝てるベストな策を工夫する柔軟な戦術家だった。
野手の致命的なエラーや先発投手の炎上などでベイスターズが酷い負け方をした試合後の監督インタビューで、どこか達観したようなサバサバとした表情で、
Tomorrow is another day 明日は明日の風が吹く
というコメントを聞くと、不貞腐れてソファーに寝転んでいる私などはむっくり起き上がって、「また明日応援しよう」などと呟いたものだ。
今日の殿堂入り会見では、
「NPBだけではなく新たな子供たちへ貢献できれば。
野球人口の減少もある。一人でも多くの子どもたちに野球を楽しんでもらう活動ができれば」
と今後の抱負を語って、ゲッツのポーズで退場していった。
そう言えば、先日、何かのインタビューの折に、5年後にはまたベイスターズの監督をやってみたいね、などと言っていたような記憶がある。
以前よりも地力がついたチームをラミレス監督が再び指揮したらどうなるだろうか?
きっと、その時のチームの状況に応じて以前とは全く違う戦術を見せてくれるのではないだろうか。
そう考えると、なんだか楽しみな気がする。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。