新潟LIXILベイスターズになるかも知れなかったあの頃
先日の記事で冬になるとなぜか暗黒時代のベイスターズのことを思い出すと書いた。
実は、この時期に思い出すことがもう一つある。
TBSによるベイスターズ球団売却騒動だ。
2010年冬。本拠地の横浜スタジアムでの観客動員数は減少していた。
日本一となった1998年前後は年間160万人ほどだったが、当時約120万人まで落ち込んでおり年間約20億円の損失が生じていた。
そもそも、昭和29年のいわゆる国税庁通達(職業野球団に対して支出した広告宣伝費等の取扱について)により、親会社が子会社にあたる球団運営会社の欠損金を補填するために支出した場合、特に弊害がない限りは広告宣伝費つまり損金として取り扱ってよいこととなっていた。
このため、親会社が利益を出している場合には節税策を兼ねた広告費としてみなせることとなり、昭和期のプロ野球球団は一部を除いて損失を出すのが常態化していた。
ところが、ベイスターズの場合、親会社であるTBSホールディングスも放送事業の赤字に苦しんでおり、節税どころの騒ぎではない。
年間約20億円の損失を補填しなくてはならない球団の売却を画策していた。
そこに名乗りを上げたのが住生活グループで、交渉はすんなりまとまるとみられていた。
住生活グループにとって買収の一番の目的は同年1月に立ち上げた新ブランド”LIXIL”の知名度向上にあった。それならば、球団の名称にブランド名を入れれば済むため、横浜から移転する必要はないはず。にもかかわらず、住生活グループは移転にこだわった。
当時の会長は、「球団の価値にかかわるので詳しく言えないが、社内の検討チームから、本拠地が横浜スタジアムではダメだという報告が出てきた。現状の形では、誰がやっても現状の(厳しい)結果しか出ない。われわれは多額の投資をするわけだから、ほかの候補地と比較をして、納得できるところでなければ、株主に説明できない」と言っていた。
移転先の候補として有力と考えられていたのが、新潟市だ。本州の日本海側にはプロ野球チームのフランチャイズが無いことや利用可能な球場の存在とそのコスト等を勘案してのことだったろう。
横浜市の林文子市長は売却問題に揺れるプロ野球の横浜ベイスターズ(横浜市)の若林貴世志オーナーと加地隆雄社長と会い、経営主体が代わっても本拠地は横浜に残すよう申し入れた。
会談後に記者会見した林市長は「横浜が本拠地であることを条件に売却交渉していると球団から説明を受けた。本拠地を移さないよう、必要なら私が(TBSグループに代わる)株主にトップセールスする」と述べた。
上記の通り、両社の交渉が難航した最大の原因は、TBSが提示した条件。本拠地と監督などの人事を動かさないことだった。
本拠地を変更する場合は10月末までに、来期から新規参入するには11月末までに、プロ野球実行委員会とオーナー会議の承認を受ける必要がある。両社の交渉が始まったのは9月上旬。TBSからすれば、他球団や横浜市、移転先の自治体に迷惑をかけずに、円滑に引き継ぐための条件だったがそれは不可能だった。
当時、私はと言えば、日々不安を感じながら暮らしていた。
横浜からベイスターズがいなくなる事は現実として受け入れ難かったし、一年を通じて灯りの消えた真っ暗なスタジアムを想像するのも嫌だった。
しかし、人間というのは罪深いもので、私も時折、新潟市の中心街にある古町の和食屋さんやバーをネットで探したりした。申し訳なかった。
あれから11年経ったが、一時は120万人まで落ち込んでいた横浜スタジアムの観客総数はコロナ前の2019年度には228万人とほぼ倍増し、1998年優勝時もはるかに上回るようになった。
そして、今年は東京オリンピックの会場として侍ジャパンが金メダルを獲得する舞台にもなったのである。
住生活グループ会長の言っていた「横浜スタジアムではダメだという報告が出てきた。現状の形では、誰がやっても現状の(厳しい)結果しか出ない。」というのは全くデタラメだったということが証明された。
いや、普通にやっていたのであれば、住生活グループの予想通りだったのかも知れない。しかし、DeNAは非常識な工夫と努力でベイスターズを人気球団にまで押し上げた。
2011年12月のDeNAによるベイスターズ買収については、また、機会をあらためて書きたいと思う。
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