首位攻防戦に3連敗 悔しいけれど惨めではない
8月28日 対東京ヤクルトスワローズ 横浜スタジアム
負 ベイスターズ 4 - 5 スワローズ
勝利投手 梅野雄吾(4勝3敗0セーブ)
敗戦投手 エスコバー(4勝1敗2セーブ)
セーブ マクガフ(0勝2敗33セーブ)
本塁打 山田哲人20号(4回ソロ)、村上宗隆49号(8回ソロ)
今日の京山は悪くない立ち上がりだった。しかし、2回先頭の村上を歩かせてから少し気が抜けたのだろうか?
続くオスナとキブレハンの外人2人に簡単に初球をヒットにされてあっさりと失点した。
フォアボールの後、積極的に打ってくる外人バッター2人にちょっと無警戒にストライクを投げ込んでしまったのは京山投手だけではなく捕手の責任でもあると思う。
そして、中村悠平の三振で一死一、二塁となったところで、8番長岡はゲッツーにおあつらえ向きのファーストゴロだったが、ソトが二塁にとんでもない暴投。これがタイムリーエラーとなってセカンドランナーが生還して2点目が入った。
言い訳にはならないが、捕球後しっかり握れずに投球したようだ。
さらに、3回には山田哲人のソロホームランで1点追加。しかし、その裏ベイスターズは桑原のヒットと盗塁そして佐野恵太のタイムリーツーベースで1-3と追いすがった。
5回には京山が無死満塁の大ピンチを残して降板し、2番手の平田がオスナにタイムリーを打たれて1-4。ただ、今日の平田は気迫がこもっていた。その後、キブレハンと中村悠平を連続三振、そして長岡をセンターフライに打ちとって更なる追加点は許さなかった。
この気迫と3番手入江大生の好投で流れを引き寄せたのか、6回裏のベイスターズの攻撃は、ヤクルト先発の原樹理からクリーンアップの3人がいずれも四球をもぎ取り、無死満塁からソトの内野ゴロ、大和のタイムリーそして代打大田泰示の犠飛で一挙3点を挙げ、4-4の同点に追いついた。
しかし、このカードは結局村上のものだった。
7回先頭打者で打席に入ると、ベイスターズの4番手エスコバーと相対し、フルカウントの8球目、154km/hのインローのストレートを見事に打ち返して決勝のソロホームラン。
あれを打たれたら仕方ないと思う反面、村上はインローの方が高めよりも得意だったような気もする。いや、エスコバーはコントロールではなく球威で勝負するタイプなので、あそこに強い直球が行って打たれたのであればやはり仕方ないだろう。
勝負したこと自体については、私は賛成。後で述べる通り、勝負して、そして負けて初めて次があると思うからだ。
首位攻防戦ということで周囲は大いに盛り上がったが、昨日のブログでも書いた通り、ベイスターズ首脳陣は目先の勝利よりも投手陣の立て直しを優先して3連敗。
これを予定通りとまでは言わない。恐らく、一つは勝てると踏んでいたのだろう。
これで首位とのゲーム差は7となり、残り試合数を考えるとひっくり返す可能性は極めて小さくなった。2位でクライマックスシリーズに進出してファーストステージを突破し、そしてヤクルトに雪辱するというのが現実的な目標設定だろう。
10月初旬のその時にチームのピークを持って行くために、この三日間の敗戦は役立つだろうか?このことが今問われるべきことだろう。
あの長かった暗黒時代、惨めな敗戦をいくつも味わった。
今シーズンも5月に3-17でカープに敗れた試合は惨めだったし、勝ちパターンを温存して疲弊した中継ぎ陣に敗戦処理を委ねた昨日の4-16の敗北も惨めだったかも知れない。
しかし、今日の試合は惨めではない。ただ悔しいだけだ。
惨めな敗戦と悔しい敗戦には天と地ほどの差がある。悔しい敗戦は自分達の弱さを知り、それを克服するための工夫を始めるスタート地点になるのだ。
村上とあえて勝負して決勝のホームランを浴びたエスコバー、ゲッツーを焦ってタイムリーエラーを犯したソト、村上のフォアボールの後、キブレハンとオスナの初球あっさりとヒットを許した京山と嶺井のバッテリー、そして、最終回二死二塁と同点に追いつくチャンスで、クローザーのマクガフが投じた6球に一度もスイングすることなくフルカウントから見逃し三振した桑原将志、彼らは皆弱かったので負けた。
ただし、彼らの名誉のために言えば、今日のところは弱かった、と言うことに過ぎない。そして、プロ野球を、いやベイスターズというチームを何年も何十年も応援することの醍醐味はそういう彼らの進化を見届けることにある。
今日の悔しさは自分達の弱さを知るための代償であり、これからその弱さを克服して強くなって行く研鑽をするためのエネルギーなのだ。
試合後、三浦監督も語っていた。
“悔しいですね”
“もう1回立て直して、もう一度くらいつけるようにやっていきます”
選手やコーチ達もこの気持ちを忘れず、もう一度必死の努力をしてチームを立て直し、来月以降にもう一度スワローズと互角の勝負を演じてくれることを信じている。
1964年の東京オリンピックで初めて公式競技となった柔道無差別級決勝で膝の故障をおして出場し、オランダの巨漢アントン・ヘーシンクに敗れて日本柔道の敗北と言う批判を一身に背負った神永昭夫さんの言葉を今日の記事の最後に書いておきたい。
“勝負はいつでも負けから始まる。弱さを知ったときから技の工夫が始まるんだ”
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