mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

優しい名伯楽小谷正勝アドバイザーの期待を裏切った投手たちは来年にかける



11月24日 昨晩のW杯予選リーグのドイツ戦は興奮しましたね。


「あれ?ヤクルトの塩見が出場している」と思ったプロ野球ファンも多かったようで、インターネット上でそういう書き込みも多く見られました。


自慢じゃあないが、私は1年以上前からサッカー日本代表DFの酒井宏樹選手とヤクルトスワローズ塩見泰隆外野手が似ているということを申し上げていましたからね。




と言う全く意味の無い自慢ばなしはさておき、ここのところベイスターズの選手たちの契約更改の話題が続いている。


その中で、小谷アドバイザーから「お前は今年○番目に俺の期待を裏切った投手だからな」と言う愛のあるダメ出しをされている選手たちがいる。


小谷さんは1967年に國學院大学からドラフト一位で大洋ホエールズに入団し、その後、球団初のクローザーとして活躍された。

 

引退後ホエールズのスカウトや二軍投手コーチをつとめた後1982年から1987年まで一軍投手コーチとして遠藤一彦や斉藤明雄がエースの座を確かなものとするのを支えた。

 

その後、前大洋監督の関根潤三さんがヤクルトに移って監督となり招かれたため1987年から1989年までスワローズの一軍投手コーチをつとめたが、小谷さんの去った大洋では投手陣が崩壊したため、大洋の投手陣が球団に対して「小谷コーチを戻して欲しい」との嘆願書を出したと言う話がある。

 

1990年に関根さんがヤクルトの監督を退任すると横浜の一軍投手コーチに戻り、そこで、斎藤隆(新一軍投手コーチ)、三浦大輔(現監督)、盛田幸妃(奇跡のリリーバー)、佐々木主浩(大魔神)、野村弘樹(1998年優勝時のエース)を育てた。

 



この頃のことを主戦キャッチャーだった谷繁元信はこう言っている。


「小谷さんが1995年に退団した後も、横浜から相談に行く投手が多かったのではないか。そのように推測できるほど、選手個々の全てを把握していた。長所を伸ばしながら短所を修正させる教え方で、投球メカニズムに関する見識も高く、(捕手である自分にも)具体的に指導してくれた」

 

以前、このブログでも、盛田幸妃投手の7回忌の日に小谷さんの以下のインタビュー記事を取り上げたことがあった。

 

”「投げてきますわ」とマウンドに行って、本当にあのシュートで落合をひっくり返してもまだ、投げ続けていた。7球とか8球も続ける度胸があった。まともに打たれた記憶がないんだよな。ヒットもカンチャンで、ライト前に落ちるっていう。当時はホールドという概念が生まれたばかりで、やりがいに感じていた。

 

今となっては反省が残ってしまう。9回に佐々木(主浩)がいて、8回は盛田。7回を安心して任せるピッチャーを作れなくて。どうしても負担が大きくなってしまった。で、近鉄にトレードになってから脳腫瘍が分かった。「知っててトレードに出したのか」と問い詰めたら、誰も知らなかった。「足がつる、けいれんする」と言ってたんだ。まさか脳に…知識が足りなかった。

 

近鉄でカムバック賞を取った。あれだけ大きな病気をして戻るだけでもすごいのにな。「小谷さん、もうオレは昔みたいに速い球を投げられる体じゃありません。でも投球って何かと言えば、いかにバッターのタイミングを外すか…それがようやく分かりました」と話してきた。実際に変化球でゴロを打たせるスタイルにガラッと変えたんだけど、そういう感性があった。相当、努力したんだろう。

 

当時のベイスターズは年の近い子が多くて、にぎやかでね。キャンプで朝まで戻ってこなくて心配してたら、上半身裸で帰ってきてさ。体中にマジックで落書きが書いてある。「お前は一体、どこで何をしてきたんだ」って…あの頃は本当に楽しかった。亡くなる10日くらい前、危篤になってから見舞いに行ったときに佐々木と野村(弘樹)も来てくれて。あの子らは仲が良かったから。優しいなと思った。

 

一流になる選手というのは非常に繊細で、人の気持ちも分かる。技術だけじゃトップにはいけない。感性が豊かじゃないと。盛田も、特に佐々木なんかもそうだけど、普段はとにかく威勢がいいから、そこしか見えない人は誤解する。でも実際はまったく違う。マウンドとは、虚勢を張らないと戦えない場所でもある。3人を見てそんなことを考えていた。

 

盛田には弟がいて、小学校に上がる前にがんで亡くしている。かわいがっていたらしい。手を合わせてから毎日グラウンドに出ている話を聞いて、やっぱり優しい、繊細な子だなと思ったよ。もっと早く気付けばとか、若いうちから検査を受けろ…言ってたけど、もっと強く言えば良かったとか…後悔しても遅いな。”


(以上、日刊スポーツ 宮下敬至さんの記事より

https://www.nikkansports.com/m/baseball/column/kunikaraheisei/news/201902230000182_m.html?mode=all)

 

このインタビューで小谷さんは盛田幸妃や佐々木主浩そして野村弘樹たちを優しくて繊細な子たちと言っておられるが、そう思うのは小谷さん自身が一番優しくて繊細だからだと言うのが記事を読んでよくわかる。


例によって前置きが長くなってしまったが、今シーズンからコーチングアドバイザーとしてベイスターズに復帰した小谷さんが「お前は今年○番目に俺の期待を裏切った投手だからな」と言った投手たちは自己申告しており、1番が上茶谷大河、3番目が東克樹ということらしい。



【上茶谷大河は結局どの武器で勝負するのか】


上茶谷大河は2018年ドラフト1位で東洋大学から入団し、新人年には25試合に登板して7勝6敗という成績を残して将来を嘱望された。


しかし、この年の成績がこれまでのところキャリアハイで、その後は2勝、1勝、3勝と尻すぼみの感がある。


同じ年にドラフト3位で新日鐵住金鹿島から入団した大貫晋一が2度の二桁勝利を含む33勝を既に挙げていることと比べると完全に追い抜かれたようにも見える。


二人の投手のこの差は何が原因なのだろうか?




上茶谷投手の今シーズンは序盤から快調な滑り出しだった。


特に、4月16日のヤクルト戦で投球数100以内での完封勝利、いわゆるマダックスを達成した時には今年こそ開花が期待できると思ったものだ。



しかし、結局、勝利は序盤に挙げた2つを含めて3勝のみ(3勝6敗)で終わった。


防御率 4.73 、WHIP 1.23、被打率 .259というのは不完全燃焼という感じだ。


彼の投球内容を年度別に整理してみると下表のようになる。



他の投手と同様、ストレートが全投球の半数近くを占めるが、それに加えてスライダー系のボール(スライダー+カットボール)が30~40%程度あり、この二つを柱として投球を組み立てている。


7勝を挙げた新人年にはスライダーの指標が良好(5.5)で、これとカットボールの組み合わせでバッターと勝負できていたようだが、今年はこうした柱となるボールが無い。


抜きん出たボール、勝負できるボールがないのだ。そう言えば、ストレート、スライダー、カットボール、スプリット、何であれ甘く入って痛打される光景を何度も見たような気がする。


比較のために同期入団の大貫晋一のデータも掲げたが、彼の場合は、ツーシーム(4.6)、スライダー(3.8)、スプリット(5.3)という三つの球種が「勝負できるボール」となっている。


しかも、コントロールが素晴らしく良い彼はこれらの球種を使っていわゆるピッチトンネルを構成し、バッターを翻弄することができている。


この点が自己最多の11勝を挙げた大貫投手と三勝に終わった上茶谷投手との差をもたらしている大きな要因だろう。




上茶谷投手は今日契約更改を行い、100万円アップの年俸3400万円(推定)でサインした。


そして、小谷さんから「お前が俺の期待を裏切ったNo.1だ」と言われたことを明かし、「試合前から怒られたり、試合後に呼ばれたり、1年間ずっとそんな感じでやってきた。すごくありがたいです」と付け加えた。


小谷さんの言葉は厳しい内容でもその後ろに選手たちに対する愛情があるのでしっかりと受け止められるのだろう。


小谷さんからは来年こそ2桁勝利を挙げるようにとハッパをかけられたそうだ。


上茶谷投手は非常に再現性の高いバッティングフォームや投球フォームの物真似からもわかる通り、器用な選手なのだと思う。


しかし、器用さがあるが故に色々なことを試してそれらの全てが平均点程度にはできるということになってしまっているのでは無いだろうか?


プロの世界で勝負するためには、やはり、平均レベルをはるかに超えた武器を身につけなくてはならない。そして、そのためには愚直にブレることなく一つのことを極めていくことが必要なのだと思う。


その意味で、私は、今日の契約更改後に彼自身が語っていた


「迷っていた部分、いろんな思考になっていたのが1つに固まった」


という部分に注目している。


じっくり腰を落ち着けて一つの球種あるいは1組のコンビネーションを磨く覚悟ができたのであれば、それが彼の来シーズンを戦いぬくための武器になってくれるだろう。




【東克樹ともう一人の投手】


小谷さんの期待を裏切った投手のNo.3は東克樹ということで、これも彼自身がメディアの取材に答えて公表している。


その東投手も今日契約更改を行い、同じく100万円アップの2610万円(推定)でサインしている。


東投手については数日前のブログで取り上げたばかりなので繰り返さないが、次の3つの理由から来年の復活がかなり期待できるのでは無いかと睨んでいる。


(理由1)ダルビッシュ投手等の事例から、トミージョン手術後に微妙なコントロールを取り戻せるほど新しい靭帯の感覚が馴染むまで3年かかると言われており、東投手の場合はそれが来年に当たること


(理由2)東投手が新人年に勝負球としていたスライダーは肘の故障の原因にもなっていたと考えられるため、今年は100%の力で投げることが難しかったようだが、上と同じ理由で来年はそれが解禁できる可能性が高い


(理由3)今オフの課題として三振の取れるストレートを取り戻すと彼自身が語っており、これについても、トミージョン手術後は球速が上がると言われているタイミングが来年に当たることから実現する可能性がある





さて、ここで一つ疑問が残る。


小谷さんの期待を裏切った投手No.2は誰なのだろうか?


私は春のキャンプのブルペン固定カメラをかなり長い時間眺めていたが、小谷さんが時間をかけて指導しているように見えたのは以下の投手たちだ。


上茶谷大河

三嶋一輝

エドウィン・エスコバー

濵口遥大

伊勢大夢

入江大生


こうして見ると、濵口、伊勢、入江の3投手については、小谷さんの指導がうまくはまって格段に成績をアップさせたと思う。


そうすると考えられるのは三嶋一輝か。彼の場合は国指定の難病による離脱なので、期待を裏切ったという表現には該当しないためあまり公言していないのかも知れない。


恐らく、小谷さんの「俺の期待を裏切った」という表現は現状からの伸び代や改善の余地を指しているのだと思う。


きっと小谷さんは三嶋投手が元気にブルペンに帰ってくることを心から期待しているのだ。


そして、上に書いた盛田投手の悲劇を繰り返さないためにも、三嶋一輝を完全復活させるためのサポートを誓っているのかも知れない。



世に伯楽ありて、然るのちに千里の馬あり  韓愈「雑説」より