mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

ハマのマグマ大使でどうですか?



12月20日 今日、複数のスポーツ紙に大田泰示選手の記事が掲載された。


内容はそれぞれ若干異なっているが、大筋は共通した内容であり、オンラインでメディア合同の取材に答えたということかと思う。


【一日一生】


大田選手の出身は広島だが、高校時代は東海大相模高校の野球部に所属していたということもあって神奈川県は準地元であり、横浜スタジアムは高校時代の神奈川地区予選の会場だったという縁もある。


大田選手は、その東海大相模時代の恩師である門馬監督を今だに慕っていて、折に触れて連絡を取り合っているとのこと。


門馬監督は東海大相模を春夏通算で4度甲子園制覇に導いた名将として有名だが、大田選手が怪我をした時などには「大丈夫か?」と気にかけてくれるそうだ。彼にとっては「親父みたいな感じ」らしい。


その門馬監督が、高校時代のミーティングで「1日一生」という言葉を生徒たちに伝えた。


この言葉は、一日一日を無駄にせず、一生のように生きる、ということらしいが、それを聞いて、大田選手は


「深いなあ、大事だなって思った。


甲子園もずっと行けなかったから、こういうことなのかって。


一日を無駄にしないように過ごさないと行けないなって」


と感じるところが大きかったらしい。


来年はプロ入りして15年目ということで、大田選手ももう立派なベテランの域に入った。


33歳のシーズンを迎えて、


「年をとるにつれて思いますよね、選手生命、残りあと何年かとか。


30過ぎてくると毎試合、毎試合そう思うし、毎日毎日そう思う。


引き続き一日一生を胸に刻んでおきたい」


と決意を新たにしている。


思えば昨シーズンのオフには、日本ハムからノンテンダーという通達があり、本人は実質的に戦力外という宣告を受けたと感じたそうで、そこからベイスターズへの入団が決まるまで不安な日々が続いたことだろう。


この経験が彼に「一日一生」という恩師の金言をさらに深く心に刻み込むきっかけになったのではないだろうか。


途中、コロナによる離脱や下半身の怪我などもあり出場試合数は62にとどまったが、打率 .278、5本塁打、18打点とまずまずの成績を残した。


そして、こうした数字以上に我々ファンの記憶に鮮明に残る活躍を見せてくれた。


中でも、6月30日横浜スタジアムでの阪神戦で6-5で逆転サヨナラ勝ちした試合での大田選手の姿が今でも目にしっかりと焼きついている。



その翌日、私はこのブログで”大田泰示がもう一度輝く星になった夜”という記事を書いた。


”今日の最終回の攻撃では、先頭でフルカウントまで粘りしぶとくヒットで出塁した桑原やサヨナラ打を放った嶺井も勿論素晴らしかったが、真のヒーローはやはり大田選手だと思う。


若手で台頭しつつある蛯名や楠本が優先され、中々スタメンでの出場機会が与えられないが、その中でも全く腐ることなく準備して、出場する時には高い確率で良い働きを見せてくれる。


そして、出場していない時にもベンチで声を出しチームを鼓舞することをやめない。


本当に良い選手が来てくれたものだ。


今日のヒーローインタビューでお立ち台に上がった大田泰示はわざわざ手にしていたDBスターマンのぬいぐるみをスタッフに預け、横浜最高と叫んで拳を天に突き上げた。


こういうストレートな感情表現をする選手がこれまでベイスターズにはあまりいなかったので、そう言う点でも彼の存在はベイスターズを良い方向に変えて行ってくれる可能性を感じた。


今夜は本当に横浜が最高で、そして大田泰示も最高だった。”


この夜の幸せな気分を思い出すと今でもちょっと嬉しくなる。本当に良い選手が来てくれた。


CS最終戦の最終回1点ビハインドの一死満塁という絶好のチャンスで藤田選手が併殺に倒れて今シーズンが終わった後、大田選手は藤田選手に電話して、大丈夫ですか、と声をかけている。


このまま引退などということがないように、という気持ちだったそうだ。


来年も大田選手はベンチで声援を送り、同僚を鼓舞し、グラウンドでは勝負強いバッティングと献身的な守備でチームの勝利に貢献してくれることだろう。


「何より僕は優勝したい。


ハマスタで優勝して、横浜・神奈川が、全国のベイスターズファンが盛り上がる。


そういう瞬間を味わいたい。


試合に出ても出なくても、何かできることを、グラウンドで貢献できなくても、何かを残していきたい」


有難う大田選手。来年はきっと優勝できるよ。





夢を叶えるコツは狂ったように欲しがること     山本寛斎




【ハマの〇〇募集】


同じ取材対応で、大田選手はもう一つ話していたことがある。


それは、ファンから「ハマの〇〇」という愛称がつけられるような活躍がしたいということ。


ベイスターズには、ハマの番長をはじめとして、ハマのプーさん、ハマの牛若丸、ハマのハマちゃん等々「ハマの」で始まる愛称の選手などが多く在籍している。


過去には、ハマの大魔神こと1998年優勝時のクローザーだった佐々木主浩さんがおり、佐々木さんと三浦監督が「ハマの」シリーズで最も有名な二人だろう。


今年の1月にも大田選手は愛称を募集して、「ハマのフェロモン」や「ハマのライオン」などという案が出たそうだが、定着には至らなかった。


ということで


今日は私も色々と考えてみた。


私からの提案は「ハマのマグマ大使」だ。


マグマ大使はフジテレビ系列で1966年から67年にかけて放映された実写版のヒーローもので(原作の漫画は手塚治虫作)、初代のウルトラマンよりわずかに早く世に出た。


私事だが、亡父の高校と大学の同級生が脚本を書いていたこともあって、私には馴染みの深い番組だった。


ちょっと古い作品だが、映画「大魔神」の封切りが同じ年なので、まあギリギリ許されるのではないだろうか?


ご存知ない方のために言っておくと、マグマ大使というのは地球の創造主であるアースによって生み出された特殊金属のロケット人間(ロボットではない)で、普段は身長6メートルだが、怪獣と戦う際には例の通り巨大化する。


人間型あるいはロケット型の形態をとることができ、ロケットとして高速で移動し、人間型で闘う。


頭部アンテナからの熱線砲と腹部からのミサイルそしてジェット気流という新兵器が得意技だ。


日本から離れた無人の火山島を基地としており、彼のための出入り口はその島の火口部にある。



ちょっとなあ、と思っていらっしゃる方も多いと思うが、以下に大田選手とマグマ大使の共通点を挙げてみよう。


① どちらも下の名前がタイシ(泰示と大使。だったら楠本でも良いだろう、とか言う人もあるかもしれないが、楠本にはマグマ大使感は全くない(個人の意見であり、効き目を保証するものではありません))


② 筋骨隆々とした巨体である


③ プロ野球選手やスーパーヒーローには珍しいがこの二人はどちらも長髪だ。そして、二人とも筋の通った整った顔立ちをしている


④ 抜群の身体能力を持っている


⑤ 遠く離れたところ(火山島や札幌ドーム)から僕たちを助けるために飛んできてくれる


と言うことで、もし万一大田選手あるいは球団広報の方がこのブログを読んでいたら、是非、この愛称をご一考ください。