mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

三浦大輔監督の新人選手たちへの言葉



1月8日 昨日入寮したばかりの10人の新入団選手たちは今日から早くも新人合同練習を開始した。


ドラフト1位で大阪桐蔭高校から入団した松尾汐恩選手を初め全員が元気よく横須賀の球団練習施設 Dock of Baystars Yokosukaに集合した。


松尾選手はインタビューに対して、緊張した面持ちで、まずは基礎をしっかりさせてチームの一員として頑張っていきたい、と言う趣旨のことを語っており、視察予定の三浦監督にも元気なところを見せたいと言っていた。




【三浦監督の檄】


新人合同練習初日の今日は三浦大輔監督も視察に訪れ、選手たちに訴えかけた。


「入団発表の時にも話をしているけれども、今の気持ち、入団発表の時の気持ち、今日グラウンドで動き始めた時の気持ち、キャンプインしてユニフォームを着て動き始めた時の気持ち。


今年一年全てがみんなにとって初めての体験だと思うけど、感じたこと、どういう気持ちで横須賀のグラウンドに来たか、どう言う気持ちでユニフォームに袖を通したか、今年一年どう言う気持ちでグラウンドに立っていたか忘れないで欲しい」


「順風満帆、右肩上がりでプロ野球生活を送る選手はほとんどいない。何かしら壁にぶつかる。ぶつかった時に、今年1年の気持ちを忘れないでいれば、絶対に助けになる」


「言われたことをやるのはまず大事。でも、それをやっているだけで一軍に行けるか、この正解で成功できるかと言ったら絶対にそうじゃないと思う。


教えてもらったことを理解して自分たちで工夫してどれだけ自分のものにしていくか(が大事)」


これらの言葉を聞いて、選手たちはどのように感じただろうか?


「初心忘るべからず」と言うこと、そして、「プロの世界では指示待ちではダメで自分なりの創意工夫が大事」と言うことはしっかりと伝わったことと思う。



しかし、これだけでは、教科書の域を出ていない。


三浦監督の伝えたかったことにはもう少し違ったニュアンスが込められているのではないだろうか?


野球関連のテレビ番組といえば超プロ野球ULTRAくらいしかない今日、この辺りをもう少し掘り下げてみた。




【三浦大輔の胸の内にあるもの】


三浦大輔選手が2016年に42歳で引退した直後、インタビューに答えて自身の新人時代について語ったことがあった。


まず最初は、1991年のドラフト6位で母校の高田商業高校からベイスターズ(当時は大洋ホエールズ)に入団したときの印象。


「ユニフォームを着て練習を始めた時点で、周囲の先輩たちとのレベルの差に愕然として、『どうやったらこの世界で生き残れるか』で頭がいっぱいになりました。


そこでまず取り組んだのは、練習です。高校に比べ、プロの練習はケタ違いに厳しかった。


しかし必ず自分の身になると信じて、黙々と練習を続けました。


人は“限界”を超えるからこそ成長できる。若い時から効率や合理性だけを求めては、真の成長は望めないですから」


この年にドラフト1位で入団したのは現在の投手コーチである斎藤隆さん。


言うまでもなく、斉藤さんはベイスターズ先発投手陣 の柱の一人として1998年の優勝に貢献し、その後は抑えに転じてNPB通算91勝、55セーブ、14ホールド、MLBでも主にクローザーとして21勝、84セーブ、39ホールド(日米合計112勝、139セーブ、53ホールド)の成績を残した名投手だ。


東北福祉大から入団した斉藤投手は、高卒で入団した三浦投手よりも4歳年上であり、投手としての完成度にはその時点で大きく差があったことは容易に想像できる。


そのことは三浦投手本人が1番よくわかっていただろう。だから、「限界を越える」ほどの練習を自らに課した。


「少しでも目立って、使える奴だと思ってもらわなきゃいけない。


二軍では、若手の仕事と言われてた荷物運びやボールボーイも率先してやりましたし、バッティングピッチャーも『自分のピッチングを見てくれ、早く試合に出してくれ』という気合いを込めて全力で投げました。


言葉は悪いけど、僕は『欲の塊』なんですよ。


プロになりたいという夢が叶ったら、次は一軍に上がりたい。


一軍に上がったら、ローテーションに入りたい。勝利投手になりたい。年俸も上げたい。


周囲の先輩たちを見ると、すごい外車に乗って、いい時計して。ああいう選手に自分もなりたい。なるには、どんな練習をすればいいんだろうと」


三浦投手の原点はこのハングリー精神なのだろう。


野球エリートの道を歩む斉藤隆さんとの差を強く認識して、まだ何者でもなかった自分がどうやったらプロの世界でのし上がっていくことができるか。


このあたりの心情が、三浦監督の尊敬する矢沢永吉さんの楽曲やご本人の生き方と響き合うところがあるのだとも思う。



しかし、こういったギラギラした気持ちと上昇志向に駆り立てられた努力だけでは壁を乗り越えられないのも確かだ。


「ピッチングコーチだった小谷正勝さんには、入団当初から、野球選手として社会人として、多くのことを教わりました。


最も印象に残っているのは、『己を知れ』という言葉です。


僕はピンチになると、どうしても『ランナーを出させるもんか』という気持ちが強すぎて、力任せに抑えようとしていた。


それに対して小谷さんは、『お前はそもそも、どんなピッチャーなんだ。どうやって今までバッターを抑えてきたんだ』と繰り返し聞いてくれました。


それで、『自分は、低め低めに、コーナーへ丁寧に、我慢強く投げていくピッチャーだ』と自覚することができたのです。


何度も何度もピンチを迎え、失敗しては落ち込み、小谷さんにも叱られながら、だんだんと自分の投球スタイルを固めていった。


自分の強みと弱みを知ることで、逆境に立ったときも、自分でメンタルをコントロールできるようになったのだと思います」



小谷さんはよく「野球のふるさと」と言うことをおっしゃる。


昨年のキャンプ前に不調のどん底にあった山﨑康晃についても、彼の野球のふるさとに一度戻してあげることが必要だ、と三浦さんとの対談の中で語っておられた。

「野球のふるさと」つまり野球選手としての自分の原点、さらに言えばその時の感覚や感触までも鮮明に覚えていて、壁にぶち当たった時にそこに帰ってくることができるようにするのが極めて重要と言うことを小谷さんから学んだのだのではないだろうか。


こうして掘り下げてみると、今日、三浦監督が新人選手たちに語った「初心忘るべからず」と「プロの世界では指示待ちではダメで自分なりの創意工夫が大事」と言うポイントは、


”ハングリー精神を持ち上昇志向でプロ野球選手としての道を切り開いていくために、自分に足りないものを知り「限界を超えた努力」でレベルアップしていくこと”


”壁にぶつかった時に戻ってくることのできる自分の原点、つまり「野球のふるさと」をいつまでも忘れずに持ち、その核となる部分は決してブレないこと”


の二つだったのではないかと思われる。




【おまけ】


他球団でも今日から新人合同練習が始まっているが、誉高校からドラフト一位でソフトバンクに入団したイヒネ・イツア内野手が新型コロナ陽性で欠席という報道があった。


NPB的にはコロナの話題は一段落していた感があるが、世間では第8波が猛威を奮っていると言う現状もあり、各球団の新人選手たちは過敏になることなく、しかし慎重にそれぞれのプロ野球選手生活をスタートして欲しい。


ところで、イヒネ選手って中日の岡林選手に似ていると思いませんか?



有名人の似たものマッチングが趣味の私としては、ヤクルトの塩見選手とサッカー日本代表の酒井宏樹選手のマッチング以来のアハ感をかんじているいるところです。