mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

「考える野球」は何故必要なのか?



シーズンオフになり、いつものようにプロ野球関連のコラムやニュースに目を通していると、考えてプレーすることが大事だとか、言われたことをやっているだけではダメ、自分で考えて練習しないと、と言うような監督あるいはコーチの方々のコメントをしばしば見かける。


野球に限らずスポーツ全般で選手の自主性を重視するようになったのは2000年代以降か?


いや、私が気に留めるようになったのがその頃と言うだけで、スポーツの現場では、きっと、さらに以前から言われて来たことなのだろう。


学生野球と言うのは教育の場でもあるので、自主的に考えることの重要性が叫ばれることはよくわかる。


しかし、勝利至上主義と言っても良いプロ野球の世界で「選手自らが考えることの重要性」というのは、まあそうなんだろうな、とは思うもののすっかり納得できたわけではない。


練習のプランはトレーナーやコーチあるいは動作分析のプロなどの専門家が立てるし、作戦は監督やヘッドコーチそしてアナリストたちが担当する。


考える野球の主役は彼らなのではないか、と言う疑念が拭えないためだ。


このブログでも何度か書いた、新人合同自主トレーニングの初日に三浦監督が新人たちに伝えた、言われたことをやるのは最低限で、自分で考えて工夫しなければこの世界では生き残れないと言う言葉。


そして昨日の記事でも書いたように、中堅と言って良い経験豊富な京田陽太選手がこの言葉に呼応して、自分の意思を貫く覚悟を固めるなどの選手たちの意識。


どうも私は、こうした言葉の本当の意味を理解できていないように思う。


そこで、心当たりを色々と調べ、私なりに少し得心することができたように思うので、いくつかのポイントを挙げて皆さんにご報告したい。



【身体を作るために栄養管理やトレーニングの効果を理解すること】


プロ野球選手の身体を見ていると、いや、もっと正確に言えば彼らの身体の変化を見ていると、それぞれが必要とする身体的な機能を向上するために、筋肉量を増やしたり、体脂肪を減らしたり、可動域を広くしたり、と言った改造を日常的に行なっていることがわかる。


このためには、日々の栄養管理やトレーニングが必須となるが、私はトレーナーや栄養士の方々がプログラムを作り、選手達はそれに従っているのだろうと漠然と思っていた。


しかし、良く考えてみれば、話はそう簡単ではなさそうだ。


プロ野球選手は個人事業主なので、自己責任で生活し、トレーニングを行っている。


このため、昨日の京田陽太選手の記事にもあったように、どのような機能の向上を優先して自身の身体をどのようにデザインするかを最終的に決定するのは選手自身だ。


そして、その決定を正しく行うためには、自分のパフォーマンスと身体的なスペックがどのように関連していて、さらに、好ましい身体のスペックと日々の食事の栄養構成やトレーニングの内容とがどのように結びついているのかを理解し、考えることが必要になる。


さらに、分かりやすい例で言えば、あるマシーンを使ったトレーニングがどの筋肉の強化を目指したものであるかを理解していなければ、ターゲットとしている部位にしっかりと効果が出ることは難しい。


食事制限やトレーニングは楽なものではないので、それを毎日、長期にわたって継続するためにも、自分の努力や忍耐がどうやってパフォーマンスの向上につながるのかをしっかり理解することが不可欠だろう。




【技術を習得するためのPDCAサイクルを通じて考えること】


企業などの組織では、個人あるいは集団の目標達成のために、Plan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Action(改善)を繰り返す、いわゆるPDCAサイクルを行うと言う話がよく聞かれる。


プロ野球選手も、投手の新しい球種やバッターの内角打ち、あるいは盗塁時にスピードを殺さないスライディングなど、実に多様な技術をプロの試合で通用するレベルで習得することは極めて重要であり、そのためには、目標を立て、実行し、結果を評価して課題を見つけ改善していくと言うサイクルが欠かせない。


これについても、私は漠然と、投手コーチや打撃コーチなどがプランや評価そして改善策の指示などを行い、選手はそれに従ってDoの部分を主に行うものと考えていた。


しかし、ここでも上述した個人事業主の自己責任と言うことがあるため、コーチの言うことは命令ではなく提案と言うことになる。


その採否あるいは複数の異なる提案があった場合にはどれを選択するかなどを選手自らが考え、決定する必要がある。


もう一つ、これは、体育学者として江戸川大学の客員教授でもあるベイスターズの仁志俊久二軍監督が以前仰っていたことなのだが、野球選手が苦しい練習を続けていて唯一報われたと感じる嬉しいこと、と言うのが目標を成し遂げた時の達成感であるそうだ。


そして、仁志さんによると、この達成感は他人から押し付けられた目標や練習方法では感じることが出来ないとのこと。


コーチの提案を受けつつも、最終的には自分が考え、工夫した練習を通じて目標を達成できた時には非常に深い喜びがあるそうだ。


仁志さんは、この深い喜びがなければ、多年にわたって苦しい練習をひたすら続けることはできない、だから自分で考えると言うことは必須なのだ、コーチは答えを与えてはいけない、と言う。



【野球は考える時間の長いスポーツ】


上に書いたことはいずれも私なりに、なるほど、と思う内容だったが、どのスポーツでも該当する一般論であり、三浦監督達の言う「プロ野球の世界は特に考えることが重要」と言う理由はこれだけではない様に思える。


そこで、野球というスポーツの特徴からも少し考えてみた。



サッカーのようにヨーロッパ、特に英国が起源のスポーツは連続的にプレーが続いていき、この流れが中断されるのはボールがフィールドの外に出た時などに限られる。


一方、野球に代表される米国で始まったスポーツは、一つ一つのプレーが分断されており、その間に次のプレーの進め方について作戦を練りチーム内でコミュケーションをとる時間があるのが特徴だ。


この差は、ラグビーとアメリカンフットボールを比べて見るとよく分かる。


この二つのスポーツは本来は非常に似通ったものだったらしいが、英国と米国それぞれほぼ同じ時期に、シーズンの最終戦で片方のチームが引き分けでも優勝と言う状況になり、試合開始早々、ボールを持った選手がグラウンドに倒れ込みチームメイトが彼の周囲を固めて試合終了まで膠着状態として引き分けに持ち込む、と言う「事件」があった。


こうした行為は、もちろん、競技の自己否定になるので禁止する必要がある。


ここで、英国のラグビーでは、ボールを持った選手が倒れたら速やかにボールを放すことを義務付け、違反した場合にはnot release the ballと言う反則を適用することで、プレーが連続して流れるダイナミックな展開が大きな魅力となった。



一方、アメリカンフットボールでは、ボールを持った選手が倒れた時点でボールデッドとみなし、プレーを一旦止めてその位置から試合再開することとした。このため、その都度作戦を立て、選手間で共有することが可能となり、ラグビーのセットプレーのように予めデザインされた選手達の複雑な動きを毎回行うことで戦術面の面白さが際立つこととなった。



米国で始まった野球は、投手の投球に対してバッターが打ったり野手が捕球や送球をしたりと言う動作のセットがプレーの単位である。


つまり、一球ごとに短いプレーが繰り返され、それぞれのプレーの間にはバッテリー間でサインの交換を行って配球を決定し、守備陣はその配球を踏まえてポジショニングを考え、バッターは素振りなどをしながら次の狙い球などを考える。


こうして、野球のゲーム中に100回を超える「考えるための間」が生じることになる。



これが、流れのあるスポーツの中で個々の選手が瞬時のインスピレーションや相手の思いもよらないアイディアあるいは瞬間的な反応などで芸術的なプレーを見せるヨーロッパ系のスポーツとの大きな差だと思う。


野球には、意識的に次のプレーを考え、準備する時間が全てのプレーヤーに与えられているのだ。


だったら、この間に何を考え、どのような準備をするかによって、結果に差が出ることは容易に想像がつく。



【戦術を理解し次の動作を考えること】


個々のプレーが終わり、次のプレーまでの間に考えるべき重要なことの一つが、チームの戦術に沿って次に自分が行うべきことを決めることだ。


例えば、試合前半には送りバントはしないと言う戦術が明確になっているチームの8番バッター(左打者)が両チーム無得点、無死一塁で打席に入ったとする。


次のバッターは投手なので、ヒッティングで無死一、二塁あわよくば一、三塁のチャンスを作りたいし、最低でも一塁ランナーをセカンドに進めたい。


チームの戦術を理解して各選手ができることとしては、例えば、一塁ランナーはリードを大きく取り、何度もスタートの構えを見せるなどの動きで牽制球に備えて一塁手をファーストに張りつかせ、盗塁時のキャッチャーからの送球に備えて二塁手のポジションをセカンド側に寄せることがある。


こうすることで、一、二塁間は大きく開くこととなる。


そして、打席の左打者はライト方向に引っ張ることで、この大きく開いた一、二塁間を破るヒットを狙うべきだ。ヒットエンドランがかかっていれば一、三塁にできる可能性も高いし、ファーストランナーがスタートを切っているためにダブルプレーの可能性は低い。



この例にもあるように、チームの戦術を理解した上で、個々の局面で走者や打者がそれぞれどのような行動を取るべきかを考えることは非常に重要だと思う。


野球には考える間があると書いたが、その間に全てのプレイヤーの次の動作をベンチから指示することは難しいだろうし、仮に可能だったとしても、複数のプレイヤーが連動する動きを見せるためには、共通の戦術のもとに個々の選手が何を考えているのかについて相互に意思疎通できていることが欠かせない。



【勝負の中で判断すること】


もう一つ重要な点は、野球には相手があり、相手にもまた考える時間があるということだ。


先ほどの例であれば、相手チームのバッテリーは、走るぞと言う構えでスタートのフリを繰り返す一塁走者と内角を開けて構えるバッターを見てその意図を察し、左投手であれば外角のスライダー、右投手であれば外角低めのツーシームなどを投げ込んで、左打者が引っ張ることを避け、サードやショートへのゴロを打たせてゲッツーをとることを狙うかも知れない。


チームの戦術に即した行動を取ることはもちろん必要だが、それに対して相手チームが抑止策をとってきている場合、その策に柔軟に対応する判断が必要になる。


そして、この判断にはベンチからの指示は間に合わないことが多い。


例えば、先ほどの状況で、ピッチャーが外角に逃げていく変化球を投じてきた場合、投球に合わせてサードとショートが少し下がってゲッツー狙いのポジションになることが見えたら、サードの前にチョコンと合わせるセーフティバントと言うアイディアも考えられる。



うまく打球の勢いを殺しつつキャッチャーが捕球できない場所に転がすことができれば、無死一、二塁とチャンスを拡大することができる。


こうした現場での判断は、バッターが彼にしか見えない情報に基づいて考えるべきことだし、一塁走者もこうした可能性を念頭に置いて、バッターがバントの構えに転じたら即座にそれに対応できる様に準備しておく必要がある。



以上、私なりに「考える野球」の必要性について考えたことをまとめてみた。


もとより素人のことなので、誤解や思い込みなども含まれているとは思うが、本当の専門家にとっては当たり前なので敢えて書くことがなく、しかし私の様な素人にははっきりしなかったことなので、ご批判は覚悟の上であえて記事にしてみた。


読者の皆さんにとって何か参考になる部分が有れば望外の喜びだ。