mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

酷い敗け方をした夜の過ごし方を4コース試してみた





2023年8月4日は一粒万倍日で天赦日しかも大安というトリプルラッキーデイだそうだが、それは阪神ファン向けのものだったらしい。何となくそうかな、とは感じていた。


東克樹の粘りづよい好投と久しぶりのホーム球場でのホームランとなった牧秀悟の逆転ツーランで2-1とリードして迎えた8回表。



このところ失点続きの伊勢大夢が登板した時点で少し嫌な予感はしていたが、いやいやそんな失礼かつ不吉なことは考えないようにしようと思っていた矢先。


先頭の森下選手のボテボテのゴロが不運な内野安打となり、続く大山選手は三振に打ちとったが、代走の植田選手が二盗すると悪送球(とは言え、本来はセカンドが止めるべきボールに見えた)でサードに進んだ。


次の佐藤輝明も三振。


しかし、ノイジーの力なくライト方向に上がったフライに蝦名選手が飛び込んでグラブに当てるも捕球できずサードランナーが生還して同点。


記録上エラーではなかったが、試合慣れしたレギュラー格の外野手なら捕っていたのではないかと言う気もした。



その後も2本の飛球がライトに上がり、後ろに守れば前に落ち、前進守備を敷けば頭を超えられると言う逆張りであっという間に逆転され、さらに2-5と引き離された。


蝦名サービスエリアなどと言う人もいるようだが、そんな上手いけれども心無いジョークは言わないように(字が違うしね)。


まあ、負けた試合のことをいつまで言っていても仕方ないし、犯人探しのようになっても本意ではないので、このくらいにしておこう。



今日の記事の本題は、この試合のように酷い負け方をした夜の過ごし方をいくつか考案して実際に試してみたと言うことにある。


これからも、きっとまた、酷い負け方をすることはあると思うので、皆さんにも何かの参考になれば幸いだ。



(Aコース)他のチームが逆転負けする試合を観て悲しいのは自分だけではないと言い聞かせる


ベイスターズが敗色濃厚になった時間帯に同じような苦しみや悲しみに遭遇しているチームはないかと野球速報アプリを調べたところ、9回表まで3-2とリードしていたジャイアンツがその裏先頭打者を出塁させているのを見つけた。


大勢投手が離脱している間にクローザーをつとめている中川皓太投手がマウンド上にいて、先頭の菊池涼介にポテンヒットで出塁を許したところ。


おっ、と思って邪な期待を持ちつつ悪魔のような目つきでTV画面に見入っていると、続く野間選手は強硬策を選択してヒット。


さらに3番秋山翔吾の投手前の送りバントを中川がフィルダースチョイスでオールセーフ(秋山にバントさせるのは凄いね。羨ましいなあ)。


無死満塁となり、これは不幸なお友達が沢山できそうだと思い、さらに邪な気持ちで見続けた。


すると、一死から小園海斗の同点タイムリー、そして代打の切り札松山竜平のファースト内野安打で逆転サヨナラ。



その時、西田敏行さんの往年の名曲「悲しいのはお前だけじゃない」と言うフレーズが頭の中で流れた、ような気がした。


あっ、ちょっと待ってくださいね。ジャイアンツが負けたと言うことは、ベイスターズはギリギリ3位に踏みとどまったと言うことになるじゃあないですか。


3割がた気分が軽くなったような感じがした。


イヤイヤ、しかし、人を呪わば穴二つと言うことわざもある。


ジャイアンツと一緒に落ちていけば良い、と言うことでもないので、このコースはこのくらいにしておいた方が良さそうだ。



(Bコース)むやみに運動してストレスを発散する


逆転されたベイスターズが予定通り負け、さらにジャイアンツも逆転負けしたのを見届けてから室内のエアバイクの負荷を最大にして漕ぎまくった。


一心不乱にペダルを回すこと2時間。


1000キロカロリーを消費した頃には心地よい汗を散々流し、心と身体のバランスが整って来たことを感じた。


考えてみると、そもそも自分は何の動きもしないまま激しいプレーをする選手達を観て、結果に打ちのめされると言うのがフラストレーションのたまる原因でもあるように思う。


気持ちの良い疲労を感じつつ、この時点で私は蝦名達夫に「こう言う日もあるけどめげずに頑張れよ」と言うような余裕ある大人の一言をかけてあげられるほどに回復していることを自覚していた。



(Cコース)応援しているチームが負けてもファンが怒る権利などないと言う論理を組み立てる


そもそも、ベイスターズが負けたからと言って、一ファンである私が怒ったり文句を言ったりする権利があるだろうか?


スタジアムに行くと、入場料払って見てるんだから金を取れるプレーをやれとか、金返せとか言う人もいるが、私が思うに我々にそんな権利はない。


自分の好きで野球を見ているわけだし、そもそも、野球観戦と言うのは映画鑑賞などとは違って結果の約束されていないギャンブルのようなものだと思う。


勝つか負けるかは五分五分だと承知した上でお金と時間を自ら投資して試合を見ているわけだから、負けて文句を言うのもおかしなものだ。


宝くじに外れたからと言ってみずほ銀行に怒鳴り込むと言うのはあまり賢い行動ではない。


それにしても負け方と言うものがある、良いプレーをして負けたのなら文句は言わない、と仰る向きもあるだろう。


しかし、勝負というのは相手との差分で決まるので、敗者と言うのは多かれ少なかれ間が抜けて見えるものだ。


こうして考えて見ると、負けたからと言って不機嫌になっていた先程の自分が浅はかだったと思えるようになる。



(Dコース)映画「頑張れベアーズ」を観て野球は勝ち負けだけではないことを想い出す


そして、最後はこれ。


アメリカの少年野球リーグでお荷物だった弱小チームが個性的なメンバーの加入で底上げし、アル中の元プロ野球選手がコーチを引き受け彼自身の再生とともにチームも逞しくなって行くと言うストーリー。


再び野球に真剣に取り組むようになった元呑んだくれのコーチが行きすぎた指導と勝利至上主義を持ち込んだことでチームがバラバラになりそうなその時、彼は、野球の根本にあるチームプレーの大切さ、そして何より野球を楽しむと言う姿勢を思い出して、最後は選手ファーストの采配に変わって行く。


宿敵ヤンキースとの決勝戦には僅差で敗れ、今年も負けて終わったと言う試合の直後。


ベアーズの一員である運動音痴で内気ないじめられっ子の選手が、彼にいたずらをしたことのあるヤンキースのいじめっ子達に向かって準優勝のトロフィーを投げつけ、


「来年は負けないぞ!」


と啖呵を切るシーンで不覚にも涙が流れた。



常勝軍団のファン達には、この気持ちは絶対に分からないだろう。


勝つか負けるかで天と地ほども気分が変わる野球の観戦と言うギャンブルに時間とお金を注ぎ込んだ末に酷い負け方をする。


悔しい気持ちが落ち着くと、虚無感のような寂しさが残る。


こんな負け方をしていては何の意味もない、と思ってしまうこともある。


いや、そんな負け方の後こそ、大好きなチームへの愛情が、愛情だけが最も純粋な形で残るのだ。


さあ、明日もう一度一緒に戦おう。


一生懸命に応援するから頑張ってくれ。


大丈夫。明日はきっと勝てるよ。