mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

山崎康晃を今呑みこんでいる嵐とその向こうにあるもの

先日の記事で、麻雀放浪記のドサ健のセリフを引用した。それはたまたまだったのだが、それ以来、今まで並べてみたことのなかったプロ野球と戦後の焼け跡で行われた賭け麻雀について、いくつか共通点があるような気がしてきている。


山﨑康晃について書くこの記事は、この辺から始めてみようと思う。


例えば、サイコロというのは、我々のような常人にとっては、1から6までの数字をランダムに出してくれる統計的な装置だが、かつて商売人と呼ばれたプロ雀士の中には、何ヶ月も寝る間を惜しんで練習し、かなりの確率で決まった目を出せるようになった人達がいた。この技を使って、自分の山に積みこんだ役満の牌(イカサマです)を自分のパートナーにひかせる(勿論イカサマです)。


別の雀士は、麻雀牌の裏側にある竹の一つ一つ微妙に異なるパターンを全て記憶して、裏返しにしている対戦相手の持っている牌を読みとってしまうというスキルを身につけた。当時でも少し時間が経つと麻雀牌は新しいものに交換していたようなので、その僅かな時間に牌を記憶するのは超絶的な技と言える。


賭け麻雀でもプロ野球でも、勝負事には必ず相手がある。そして、相手はその時々のスタンダードを想定して戦術を練ってくるので、そこからわずかでも、しかし確実に上回る何かを持てば、それが決定的なアドバンテージになり得る。


必殺技というのは恐らくそう言うものだろうと思う。


プロ野球の世界では、18.44m 離れたピッチャーマウンドから140キロに近いスライダーで外角ぎりぎりを狙ってボール一個分の出し入れをするコントロールを磨く人達がいるが、これもまた、サイコロの出目を思うように操るような、常軌を逸した、つまりスタンダードを超えた技術ではないだろうか。


山﨑康晃が2015年にデビューした時、彼は上に書いた意味での必殺技を持っていた。

彼がツーシームと呼ぶ特殊球だ。


このボールは、亜細亜大学野球部時代に先輩の東浜巨(現ソフトバンク)からカープの九里亜蓮と山﨑康晃が伝授されたものだそうだが、この三人の投げる同じルーツのボールは実際の動きが微妙に異なる。

この三人がかつての雀士さながら常軌を逸した練習をして、この必殺技を磨いていくプロセスは、想像することしかできないが、凄まじいものだったに違いない。


2015年に山﨑康晃がデビューした時、当時のスタンダードに合わせたバッティングでは、かすりもしないと言うことがしばしばあった。我々は狂喜して、歓声を送ったりジャンプしたりした。

しかし、私たちはその時から、(クロスステップで投げ込むキレの良いストレートは勿論大きな武器だが)この一つの必殺技にかけた彼のクローザーとしての成功に何か危ういものを薄々感じていて、それがまた、プロ野球の中でも少し異例の山﨑康晃の際立った魅力となっていた。


それから、山﨑康晃は170個のセーブを積み重ね、その間に失敗もしてきている。私は、彼の生命線はツーシームがわずかだが決定的にスタンダードを上回っていることだと考えているが、その生命線が破綻したと思われる危機も何度かあった。スタンダードは時と共に変化するのだ。中でも、昨年から始まった今回の危機は最大のものと思われる。

彼はこれまで、努力によって危機を乗り越えてきたが、今回はまことに厳しい。

そして、かつて歓声を送りジャンプしていた人たちは、彼の体型や生活など色々と批判し、リスペクトが失われつつあるようにも見える。


そう、彼は今、嵐の中にいるのだ。


そして、この嵐の中で彼を救うことができるのは、彼自身しかいないのだろうと思う。彼がもう一度、スタンダードを超えた必殺技を編み出すための常軌を逸した努力をすることができるかどうかに全てがかかっているように私には思える。


勝負事といえば、プロの将棋の世界も思い出される。映画になって人気の出た3月のライオンと言うマンガで、名人に挑んで決定的な敗戦を喫した先輩棋士について、主人公である桐山零が次のように語る箇所がある。


倒れても、倒れても、飛び散った自分の破片を掻き集め、何度でも立ち上がり進んでいく


繰り返しになるが、山﨑康晃を救うことができるのはたった一人、彼自身をおいて他にはいない。彼が、今現在飛び散ってしまっている自分の破片を掻き集め、もう一度立ち上がって前に進んでいくと言う決意を持つかどうかにかかっているのだ。


誤解の無いように言っておくが、私はそうして欲しい、とか、そうであることを信じている、といった気持ちを持っている訳ではない。彼のこれまでの努力と、もしこうした決意を持った場合のこれからの苦難を想うと、とても気楽に頑張れとは言えない。


桐山零が言っているように、嵐の向こうにあるもの、それはただ更に激しいだけの嵐なのだ。


山﨑康晃選手、何ヶ月かかっても良いので、自分自身で納得のいく答えを見つけることができるよう、心から祈っています。


デビュー当時、張りつめた弓から矢が放たれるような山﨑康晃投手のピッチングフォーム