mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

奇跡のリリーバーは三嶋一輝の高速シュートと共に甦える



数日前のブログで、三嶋一輝、小谷アドバイザー、高速シュートの三題噺を書いた。
三嶋投手の昨年より明らかにダイナミックになったフォームを見ると奇跡のリリーバーと言われた盛田幸妃さんがのり移ったようだ、という内容だった。


そして今日、各紙の報道で三嶋投手が奇跡のリリーバーの高速シュートを継承、と言った記事が並んだ。ほらね。

盛田幸妃さんは、函館有斗高校で三度の甲子園出場を果たし、1987年のドラフト1位で大洋ホエールズに入団した。


1992年5月に先発から中継ぎに転向し、中継ぎが主戦場でありながら規定投球回に到達して、最優秀防御率のタイトルを獲得した。また、この年、自己最多でチームでも最多の14勝を挙げた。オールスターゲームにも監督推薦で初出場し、大魔神佐々木主浩とともにダブルストッパーと呼ばれた。


盛田さんは、当時では貴重だった150km/h以上のストレートを投げたが、なんと言っても高速シュートが魅力で、 厳しい内角攻めを多投することで知られた。
あの落合博満さんが最も苦手にしていた投手で、通算50打数9安打(打率.180)と完全に抑え込んでいる。盛田さんが内角に厳しいシュートを投げ、落合選手が倒れ込んでよけても、さらにまた厳しい内角攻めを続けるという強気のピッチングが記憶に残っている。



引退後は、横浜ベイスターズ球団職員を務めながら、TBSラジオ専属の野球解説者として活躍していたが、2005年の夏に脳腫瘍が再発。
翌2006年2月に除去手術を受けて成功したものの、その後は骨への転移と手術も繰り返すようになった。


2015年に入って自宅療養に入っていたが、10月16日午前、転移性悪性腺腫のため死去。45歳だった。

以前の記事を探していたら、盛田さんが大洋に入団した頃から指導していた小谷正勝投手コーチ(現ベイスターズコーチングアドバイザー)のインタビューがあった。


https://www.nikkansports.com/m/baseball/column/kunikaraheisei/news/201902230000182_m.html?mode=all


“「投げてきますわ」とマウンドに行って、本当にあのシュートで落合をひっくり返してもまだ、投げ続けていた。7球とか8球も続ける度胸があった。まともに打たれた記憶がないんだよな。ヒットもカンチャンで、ライト前に落ちるっていう。当時はホールドという概念が生まれたばかりで、やりがいに感じていた。


今となっては反省が残ってしまう。9回に佐々木(主浩)がいて、8回は盛田。7回を安心して任せるピッチャーを作れなくて。どうしても負担が大きくなってしまった。で、近鉄にトレードになってから脳腫瘍が分かった。「知っててトレードに出したのか」と問い詰めたら、誰も知らなかった。「足がつる、けいれんする」と言ってたんだ。まさか脳に…知識が足りなかった。


近鉄でカムバック賞を取った。あれだけ大きな病気をして戻るだけでもすごいのにな。「小谷さん、もうオレは昔みたいに速い球を投げられる体じゃありません。でも投球って何かと言えば、いかにバッターのタイミングを外すか…それがようやく分かりました」と話してきた。実際に変化球でゴロを打たせるスタイルにガラッと変えたんだけど、そういう感性があった。相当、努力したんだろう。


当時のベイスターズは年の近い子が多くて、にぎやかでね。キャンプで朝まで戻ってこなくて心配してたら、上半身裸で帰ってきてさ。体中にマジックで落書きが書いてある。「お前は一体、どこで何をしてきたんだ」って…あの頃は本当に楽しかった。亡くなる10日くらい前、危篤になってから見舞いに行ったときに佐々木と野村(弘樹)も来てくれて。あの子らは仲が良かったから。優しいなと思った。


一流になる選手というのは非常に繊細で、人の気持ちも分かる。技術だけじゃトップにはいけない。感性が豊かじゃないと。盛田も、特に佐々木なんかもそうだけど、普段はとにかく威勢がいいから、そこしか見えない人は誤解する。でも実際はまったく違う。マウンドとは、虚勢を張らないと戦えない場所でもある。3人を見てそんなことを考えていた。


盛田には弟がいて、小学校に上がる前にがんで亡くしている。かわいがっていたらしい。手を合わせてから毎日グラウンドに出ている話を聞いて、やっぱり優しい、繊細な子だなと思ったよ。もっと早く気付けばとか、若いうちから検査を受けろ…言ってたけど、もっと強く言えば良かったとか…後悔しても遅いな。“
(以上、日刊スポーツ 宮下敬至さんの記事より)

昨年の盛田さんの7回忌に私は次のように書いた。


“人の細胞の寿命というのは思ったより短いようだ。胃や腸の表⾯にある上⽪皮細胞は1日程度、血液中の赤血球は約4ヶ月で、長持ちする骨の細胞でも寿命は約10年だそうだ。つまり、心筋細胞のような僅かな例外を除けば、人間の細胞は一生のうちに何度も入れ替わるということになる。


だとすると、自分自身というのは何なのだろうと考える。


細胞がごっそり入れ替わるわけだから、少なくとも、今こうして自分で触ることのできるこのカラダ、つまり、モノのことではないだろう。多分、いつも同じ細胞を再生産して、同じことが得意だったり苦手だったり、そして、カッパ巻きが好きだったりすることが続いて行くようにしているヒトゲノムのような遺伝子情報が最も本質的な自身なのだろうと思う。


そうだ。結局、人間というのは情報なんだ。


上に書いた盛田幸妃さんの活躍や落合選手に尻もちをつかせた高速シュートの記憶と言った「情報」は、まだ私たちの頭の中に生きている。
だから、これからもずっと、私たちと共に、盛田さんの本質は生き続けていくのだ。“


今日の各紙の報道を読んでいただきたい。


“新球習得にも挑戦中。得意球のスライダーと対になるシュートだ。「去年もフォークを(右打者の)内側に投げたりした。『三嶋はシュートがあるから嫌だな』という風に思われるだけでも武器」と腕の振りは変えず、握りだけ変えて直球に近い形の高速シュート習得を目指していることを明かした。



新球挑戦の背中を押してくれたのは小谷正勝コーチングアドバイザーだった。「僕は直球が勝手にシュート回転する。実はシュート投げているんじゃないかと、小谷さんに思われていて『お前、投げられるぞ』と」。“


数日前のブルペンでのこの2人のやり取りは私もネット配信で見ていた。


木塚コーチに、曲がってましたか?、と聞いていたので、ストレートのシュート回転を抑えるためのフォームの見直しをしているのかと思っていたのだが、どうも違う。高速シュートを習得しようとしているのだ。


何球か投げた後、ずっと黙って見ていた小谷さんが三嶋投手の方に歩み寄って行き、何やら短く指導していた。もっと手首を立てて、押し込むように投げると良い、と言っているように見えた。


そして、その後の投球に対して、「ああ、良くなった。良くなったよなあ(これは恐らく木塚コーチに向かって)。」と言っていた。


繰り返して言うが、人間の本質というのは情報なのだ。
そして盛田さんの高速シュートはこうして小谷アドバイザーの手を借りて盛田さんと同じ背番号17のユニフォームを着た三嶋一輝に伝えられた。


今年、盛田幸妃はよみがえる。彼の魂のシュートとともに。


三嶋よ、頑張ってくれ。内角への高速シュートでバッターに尻もちをつかせてくれ。


盛田さんの本質がまた我々と一緒に生き続けていくことができるように。