mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

入江大生に思いきり念力を送る



“転んだらすぐに起きようとするのではなく、


しばらく横たわったまま、


ひんやりとした地面を頬で感じたり、


普段とは全く違う角度から世の中を見る時間を作っても良い”


身の回りに挫折したり悩んだりする若者を見ると、そう言う言葉をかけるようになった。

年齢とともに大分変わってきたな、と自分でも感じる。


自分の経験から、人生は短いけれど、挫折している時に悲観するほど短くはない、と信じているせいかも知れない。




入江大生投手は、作新学院時代に甲子園での優勝経験がある。(ただし、その時はエースの座を今井達也投手(現西武ライオンズ)に譲って、一塁手として出場し連続試合安打など打撃で活躍)


その後、明治大学では再び投手として活躍し、輝かしい経歴をひっさげて2020年ドラフト1位でベイスターズに入団した。


そして、昨年の練習試合やオープン戦で首脳陣へのアピールに成功して開幕ローテーションの座をつかんだ。ここまでは、他の即戦力と言われた大卒ドラフト一位の先輩たちと同じような良いすべり出しに見えた。


しかし、その先は挫折と迷いの時期が続いた。


初登板の3月31日ヤクルト戦で5回5失点、次の中日戦では投球内容は改善したものの5回3失点(自責1)で敗戦投手。次の2試合は5回を投げ切ることができずにいずれも5失点で、4月21日の横浜での中日戦での登板を登録抹消となった。


その頃彼は右肘に違和感を感じていて、なかなか張りが取れない状況が続いていた。

ファームでもリハビリに取り組んで状態が改善しかけたこともあったが長くは続かず、8月にとうとう肘のクリーニング手術に踏み切った。


この時期の彼の心情は察するに余りある。


“せっかくドラフト一位で即戦力としてとってもらったのに”


“首脳陣も期待してくれているのに”


“たくさんのファンが応援してくれているのに”


“自分は今まで大きな怪我はしたことがないのに”


手術を決断した時、三浦監督からは、「しっかり治すことを優先してほしい」と言われたそうだ。そして、「プロはやり返せる世界だ」という言葉もかけてもらった。




手術後のリハビリの間、入江投手は、一軍のレギュラーたちは勿論、ファームで出場機会を虎視眈々と狙う若手たち、そしてコーチやスタッフの人たちの全てがチームの勝利のために力を尽くす姿を見続けてきた。


ドラフト一位のプライドといった所詮個人的なものはどうでも良くなり、チームの一員としてどうすればうまく機能して歯車を回していくことができるのかを最優先に考えるようになった。


手術後はリハビリと並行して肉体改造に取り組んだ。トレーニングで下半身の筋量増加を図り、入団時には87kgだった体重が90kg台半ばにまで増えた。


そして、スポーツや身体に関する書籍や意識改革につながるようなビジネス書や各分野の世界で成功した人物の本などを読み、雌伏の日々を過ごした。


潮目が変わったのは、今春のキャンプ直前のことだった。


1軍キャンプに参加予定だった京山将弥投手が新型コロナウィルスの陽性判定となり自主隔離。代わって入江投手が宜野湾に参加することとなった。


「うれしい気持ちと、びっくりした気持ちと、あとはやってやろうと」この言葉に彼のその時の思いが詰まっていると思う。


昨シーズンの投球を見た印象としては、相手チームの打順が一回りするまでは何とか球威で抑えられるが、二巡目になると球威が落ちてコントロールも甘くなり、そして打者の目も慣れてつかまるという様に見えた。


プロ野球の投手として一皮剥けるためには、まずストレートの球質と制球力の向上が必要だろう。特に、制球力については、ストライクを取ることができることつまりコントロールに加えて、狙ったところに投げ切れる力を磨くことが必要だ。


次に、プロのバッターから空振りを取れるようなキレのある変化球を少なくとも一種類。

これについては、元中日の大エース山本昌さんが、「(入江投手の)縦に鋭く落ちるスライダーは、現時点でも一軍の打者が手こずるだろう」と言っていた。


そして、こうも言っていた。


「(入江投手の投球フォームについて)打者からすれば急にボールが出てくる感覚になるので、タイミングが取りづらいフォームのはずである」


私は山本昌さんの投手を見る目は確かなものだと以前から思っていたので、入江投手はプロとしてやって行く能力を持っていると思っている。しかし、今年のキャンプ前の時点ではその根拠はこの山本昌さんの言葉しかなかった。



入江投手にとって潮目が変わったと思うもう一つの出来事は、優しい名伯楽の小谷コーチングアドバイザーとの出会いだ。


キャンプで初めてブルペンに入った日、ストレートばかり30球投げた入り投手のフォームを見て、小谷さんは、


“投球メカニック的には何の問題もない”


と仰っていた。


その後も、ブルペンで小谷さんが入江投手にマンツーマンで指導しているところがしばしば見られた。セットポジションから足を上げた際の軸足への体重の乗せ方そしてそこからの体重移動といったところを指導していたように見えた(声が聞こえなかったので違うかも知れないが)。




そして、2月27日の那覇での巨人とのオープン戦で彼は久しぶりのマウンドに立った。


7回に4番手として登板し、1回を無失点に抑えた。ストレートの最速は153km/hを記録していて、三浦監督も“良かったですよ。ボールに力もあって、空振りを取れる角度のあるストレートも力があって”と高評価だった。


本人は、“めちゃめちゃ緊張した。スタートラインに立てたことが一番よかった”と少し安心したようだ。


3月1日には、三浦大輔監督が決断し“球の質など諸々を考えてリリーフの方が力を発揮できる”と本人に伝達し、本人も“腹をくくって覚悟できる。よしやってやるぞと。本当にシンプルな気持ち”と言っている。


入江投手は大学時代から抑えに回ることが多く、余り違和感はないようだ。そして、奇しくも、彼の背番号22は大魔神と呼ばれた大先輩佐々木主浩投手と同じものだ。


入江投手は負けっぱなしで諦めるような人ではないだろう。きっと何度失敗しても這い上がって、いつかきっと大魔神の再来のような投球を見せてくれるはずだ。だから、私は彼に精一杯念力を送ることにした。


最後に、私の畏敬するドサ健(阿佐田哲也さんの麻雀放浪記の登場人物です)が、高額の賭け麻雀に負けて一文無しになり、家の権利書も叩き売り、切っても切れない間柄の恋人も女衒に渡した時に、彼女に語る言葉を彼に送りたいと思う。


「俺たちゃこれで生きてるんだ。


死ぬまでやるのさ。


負けるってのは、つまり死ぬときのことなんだ。」