フェルナンド・ロメロの隆盛と挫折。から再び栄光へ
10月27日 今シーズン様々な意味で好ましいインパクトを残したフェルナンド・ロメロが成田空港から帰国の途に着いた。
フェルナンド・エルネスト・ロメロ・ペラルタ(スペイン語圏なので父母両方の苗字を持つ)は、1994年のクリスマスイブにドミニカ共和国で生まれた。そして、17歳の時にミネソタツインズとプロ契約をして2012年2月にドミニカンサマーリーグに参戦した。
そこからの彼の経歴は、”The Rise and Fall of Fernando Romero”(フェルナンド・ロメロの隆盛と挫折)というタイトルのツインズのニューズレターに詳しい。
ロメロは、2012年と2013年はルーキーリーグで、そして2014年はA級リーグで登板していたが、その年に20歳の若さでトミージョン手術を受け、翌年は全休となった。
トミージョン手術後に球威が増す例(タナケンもこれなのではないかと思う)が知られているが、ロメロもこのパターンだったらしい。
2016年にA級リーグに復帰するとそこから順調にキャリアをのばし、2018年5月のトロントブルージェイズ戦でメジャー初登板を果たすと、6回途中無失点で勝ち投手となった。
2018年はそのまま好調を維持して、11登板で3勝3敗の成績を残した。150キロを優に超えるツーシームが武器だったようだ。この時点で、彼はツインズ全体で4位というトッププロスペクト。まさに前途は揚々だった。
しかし、翌2019年シーズンにチーム事情からリリーフに配置転換されてから流れが変わる。
15試合に登板して、防御率は7.07に悪化し、WHIP(1イニングに出塁させる走者数の平均値)は2.14まで跳ねあがった。
悪いことは重なるもので、2020年春のキャンプインのために渡米したロメロはアトランタ空港で入国を拒否され、その後も入国は許されなかった(医療用マリファナの不法所持という記事をどこかで読んだ記憶があるが、今日調べても見つからなかった)。
春の時点では、ツインズの広報は「我々はロメロの帰還を待っている」と言う好意的なメッセージを発していたが、2020年が一回の登板もなく終わろうとしている12月18日に上に書いた隆盛と挫折と言う記事が出た。
この記事は次のように結ばれている。
“He still has the plenty of potential, but like all pitching prospects, time could be running out.”
彼にはまだ大きなポテンシャルがある。しかし、かつてプロスペクトだった他のピッチャーと同様、時間切れになってしまったのかも知れない。
同年のクリスマスイブつまり彼の誕生日に我がベイスターズと契約してからも彼の人生は順調ではなかった。
コロナ禍でビザがおりず来日が遅れ、さらに、日本入国時に彼自身がコロナ陽性であることがわかった。
一年以上のブランクに加えて、シーズンでも完全に出遅れた彼は自慢の球速もなかなか上がらず、前半は打ち込まれることが多かった。
彼が本領を発揮したのは、十分なトレーニングで球速とキレを取り戻し、さらに2軍で大家コーチに秘伝のカットボールを習い、チェンジアップを改良してからである。
その後の彼の活躍は我々の記憶に新しい。
オリンピック明けは6試合に登板して5勝1敗。防御率2.02という大活躍だ。ヒーローインタビューでの一発ギャグもすっかりおなじみになった。
私は、真面目で陽気な彼が時折見せる内向的で哀しみをたたえた眼差しに驚くことがある。そう言えば、以前ベイスターズに在籍していたキューバ出身のヨスラン・エレラ投手も同じように哀しげな眼をしていたっけ。
これまでの隆盛と挫折を考えれば、彼の必死の努力と哀しげな眼差しは理解できるような気がする。しかし、大家コーチの秘伝もあってもう一度開花したロメロ投手は、遠く離れたこの異国の地で今度こそ本当の栄光を手にするに違いないと私は確信している。
彼は次のようなメッセージを我々に残した。
「残念ながら短いシーズンとなりましたが、みんな最後までベイスターズらしく終わろうと頑張ったと思います。ファンの皆さまからの多大なサポートには本当に感謝しています。Love Yokohama Fans チョコチョコロメちゃんより」
いや、感謝するのはこちらの方だ。そして、来春こそ万全の状態で来日し、快刀乱麻を断つような大活躍をしてくれることを心から祈っている。
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