mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

松坂大輔の最後の一球

10月19日 何ごとにも終わりというものはある。

平成の怪物と言われた松坂大輔投手が今日引退した。




甲子園の春夏連覇は夏の決勝でのノーヒットノーランという大きなおまけ付きだった。その後、西武ライオンズやボストン・レッドソックスでの活躍、第一回WBCでのMVPなどの数々の殊勲は改めて言うまでもないだろう。


むしろ、長年女房役を努めた細川亨が最近インタビューで語った言葉を読んだ方が彼の凄さを実感できると思う。


「大輔は1学年下ですが、僕は大卒で西武に入団したので、その時はすでにエースとしてチームを背負っていました。僕は入団2年目から大輔の球を受けるようになりましたが、球の伸び、キレともに本当にすごかった。試合でもスタミナも抜群だし、聞いていた以上にとんでもない投手だと思い知らされました」


それ以上に細川を驚かせたのは、松坂が年々レベルアップしていったことだった。

「本当にすごかったのはそこです。とにかく、大輔は進化の過程がわかりやすかった。1年経つと、ボールは一緒でもフォームが変わっていたりする。フォームが変わると、甘い球がいったとしてもファウルになったり、タイミングがズレたりするんです。そういったところはすごく考えていましたし、勉強になりました。絶対的なエースが年々進化するんですから、ほかの投手は追いつけないです。本当にすごいことだと思います」


さらに松坂は投球だけではなく、精神力、勝負度胸もすばらしかったと細川は語る。

「ピンチになってからのほうがフォームに躍動感がありました。9回、150球を超えていたとしても、最後の1球で150キロの球を投げたり。強打者と対戦する時もいい球を投げていましたし、平気で真ん中に投げ込むなど、度胸もすごかった。球質、コントロールといった技術的な部分はもちろん一級品でしたが、勝負師としてのメンタルがずば抜けていたという印象です」

https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2021/10/19/post_215/index.php


松坂投手と言うと忘れられない思い出がある。


あれは2018年9月22日、ベイスターズのホーム最終戦となった中日ドラゴンズとの試合だった。その日は、ゴメスこと後藤武敏選手の引退試合で、筒香のスリーランホームランなどで4-2で快勝した。


試合後、秋晴れの気持ちの良い午後、夕方まではまだ少し間があるという時間帯に後藤選手の引退セレモニーが行われていた。ドラゴンズの選手たちは既に引き上げていたが、三塁側のベンチの中で一人だけ、頬杖をついてじっと後藤選手の振る舞いを見つめている一人の選手がいた。松坂だった。


松坂と後藤とは横浜高校で春夏連覇した時のエースと四番でプロ入りしたのも同じライオンズ(後藤は法政大学を経て松坂より4年遅れての入団)という盟友だ。松坂は何も言わずに一人で佇んでいたが、とても穏やかな顔で後藤選手を見守っていたのが印象的だった。


優しい人なんだな、と思った。その後、彼はホセ・ロペスに手招きされて、最後の胴上げにも参加していたっけ。




今日の引退会見で、松坂選手は次のようなことを言っている。


「本当は投げたくなかった。今の状態もあるし、どこまで投げられるか。もうこれ以上、駄目な姿を見せたくない。と思ってたんですけど、引退をたくさんの方に報告させてもらいましたけど、最後ユニホーム姿でマウンドに立つ松坂大輔を見たいと言ってくれる方々がいたので、どうしようもない姿かもしれないですけど、最後の最後、全部さらけだして見てもらおうと思いました」


そして、今日のファイターズとの試合で彼は最後のマウンドに立った。

先頭打者は横浜高校の後輩でもある近藤健介。初球は118km/hのストレート。

右手が痺れて手術しても治らなかったのが引退を決断した理由と言っていたが、こう言うことだったのか。


その後、3-1の後の5球目は左打者の内角に抜けるような116km/hのストレートでフォアボールとなった。これが平成の怪物と言われ一時代を築いた投手の最後のマウンドだった。引退会見で言っていた「最後の最後、全部さらけだして見てもらおうと思いました」というのは、自分自身だけでなく多くのファンも踏ん切りをつけるためのことだったのかも知れない。


海の向こうでは、アメリカンリーグ地区シリーズ第3戦でレッドソックスがアストロズに12-3で大勝した。そして球団のTwitterには、今日引退するDaisukeに花向けになったというような投稿があった。そう、ボストンでも所沢でも横浜でも、ファンの気持ちは皆一緒だ。


今まで20年以上も興奮と栄光を有難う。