mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

タイラー・オースティン帰国 また逢う日まで会える時まで

10月24日 タイラー・オースティンは球団を通じて次のような言葉を残し、羽田空港から帰国の途に着いた。


「残念ながら自分たちの思うような結果とはならなかったが、球場やテレビなどを通して応援してくださったファンの皆さまには大変感謝している」


彼個人としての記録は、107試合出場し、28本塁打、74打点(いずれも現時点でチームトップ)、打率.303というものだった。今シーズンはコロナ禍で来日が遅れたことを考えれば、素晴らしいものだったと思う。しかも、夏には東京オリンピックに出場し、米国チームを率いて銀メダルを獲得しているのだ。


オースティンは脚の肉離れで10月6日に選手登録を抹消され、早期復帰を目指してリハビリする姿が報道されていたが、今シーズンの出場は断念した。

このところ横浜の気温も急激に冷え込んでいることを考えれば、賢明な判断だ。


惜しくも規定打席には4つ足りなかったが、それは来シーズンにとって置こう。


彼の来年の契約については、球団がオプションの権利を持っており、三浦監督も「また同じユニホームを着て、楽しみにしている」と声をかけたそうなので、まず大丈夫だろう。


以前のグリエル兄弟のことを思い出すと100%大丈夫とは言えないが、ベイスターズファンの人生訓(メンタルの強い人がやらない13のこと)にも


4.自分がコントロールできないことにこだわらない


と書かれている。


私がタイラー・オースティンの打棒に初めて目をみはったのは、たまたま横浜スタジアムで観戦していた昨年10月4日のドラゴンズ戦だった。


初回、オースティンの11号3ランで幸先良く先制。オースティンは3回にも12号ソロ、7回には13号2ランを放ち、この日3本塁打6打点、いずれも元メジャーのトッププロスペクトであることを証明する素晴らしい大飛球だった。


それ以来、バッターボックスの中での彼の構えを見る度に、バックスクリーンに飛び込むホームランボールの軌跡がデジャブのように目に浮かぶようになった。


シーズン終了に先立って彼が離日するのは少し寂しく、まさに、”Everytime we say goodbye, I die a little.”という気持ちになるが、シーズンオフには彼の放った28本のホームランの動画を繰り返し見ることにしよう。


そして、いつもの冬のように、誰にも頼まれていないチーム編成の仕事や打順の最適化、そして先発投手のローテーションや勝ちパターンのリリーフピッチャーの人選と登板順序などを考えて過ごそう。


孤独というものは、時として最上の交際でもあるし、しばしの別離は再会をいっそう快いものにする。 ジョン・ミルトン