mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

来シーズンの背番号についての妄想



昨日、ベイスターズの新入団発表があり、それぞれの選手の背番号も同時に明らかにされた。


やはり一番注目されたのはドラフト1位の小園健太投手(市立和歌山高校)の18番だろう。この番号は言わずと知れた三浦大輔監督の現役時代の背番号であり、彼が一代でエースナンバーにしたと言う印象が強い。


三浦監督以前にも多くの投手がホエールズ/ベイスターズの18番を背負ったが、最も有名なのが垂直に落ちるカーブ「懸河のドロップ」で知られた権藤正利さんだ。

彼は1953年に15勝12敗で新人王に輝き、そして、1960年に12勝5敗防御率1.42でリーグ初優勝に貢献した。日本シリーズでも勝利投手となった。


しかし、横浜のエースナンバーと言えば、やはり、名球会入りを果たした平松政次さんの27番やフォークボールを駆使した遠藤一彦さんの24番と言う印象だ。お二人とも巨人相手に特に強く、大活躍したと言う理由もあるかも知れない。

27番はその後阪神からFAで入団した久保康友投手が背負い、現在は上茶谷大河投手が使っている。

24番は来季から投手コーチアドバイザーとなる小谷正勝さんが現役時代に付けていたし、その後、門倉投手、寺原投手、林昌範投手らが使用した。そして、今年まで使っていた齋藤俊介投手が引退したことで、現在は空き番号となっている(ここ、後で使うから覚えといてください)。


1963年に権藤さんが東映に移籍してから50年以上の間、18番で横浜のエースというのは三浦大輔投手だけだった。

だからこそ、三浦監督は18番に思い入れがあり、次代を託すことのできる右投手(どうも左右で良い数字は異なるようだ)に譲りたいと言う思いが強く、今回、自ら抽選で引き当てた高校随一とも言われる小園投手に譲ることにしたのだろうと思う。


旧親会社のよく分からない球団運営が続き、自チームOB関連の物語りに飢えていた我々ファンにとっては、創設70周年のイベント以降、今回のコーチ陣の変更と共にこうしたストーリー性のある展開は望むところだ。


三浦監督は交渉権を獲得したドラフト日に18番を託すことを“即決”し、仮契約の日に本人にも伝えたそうだ。「引退した時に横浜ナンバーという位置付けにしていただいて、そういう選手が現われたらと思っていた。そのタイミングだろうと。是非付けてもらおうと決めました」。


小園投手は、「まだ全然見慣れないというか、不思議な感じです。横浜の18は小園だと言ってもらえるような活躍をしたい」と言っているが、気にせず頑張って欲しい。

17と19の間の数字ですねとか、二つの素数に挟まれた数字は好きですとか、周囲の大人たちの思惑に全く忖度しないような気持ちでいてくれれば良いと思う。


また、ドラフト2位の徳山壮磨投手(早大)は「15」、同3位の粟飯原龍之介内野手(東京学館高)は「33」、同4位の三浦銀二投手(法大)は「30」。同5位の深沢鳳介投手(専大松戸高)は「43」、同6位梶原昂希外野手(神奈川大)は「58」に決まった。


こうしてみると、半永久欠番となっていた18番を小園投手が受け継ぎ、FAで巨人に移籍した井納投手の15番を徳山投手が譲り受けたことで、11番から19番は全て活躍が期待される投手たちが揃っており、空き番号が無くなったことになる。FA宣言した中日の又吉投手(現在の背番号は16。ここも後で使うので覚えといてください)の獲得に向けて動くと言うことだが、背番号はどうするのだろう?


一方、梶谷隆幸選手の巨人へのFA移籍以降、3番と言う良い番号が空いている(それからここも)ことになる。ここは何か動きがあってもおかしくない。


ここから先は全て私の妄想である。


大貫晋一投手は、サイドスローで活躍した加賀繁投手から16番を受け継いだが、タイプが異なる気がする。

加賀投手の前の16番だった川村丈夫投手コーチ(鈴木尚典次期打撃コーチの後を継いで来期から神奈川フューチャードリームス監督)は比較的近いタイプかも知れないが、私としては、横浜のもう一つのエースナンバーである24番をつけて欲しい。

キレが良くコントロールも良い大貫投手は細身であることも含めて遠藤一彦さんの後継者にふさわしいと思う。


そうすると、16番が空くことになるので、FA宣言した又吉投手との交渉で、16番を空けて待っているぞと言うことができる。ウィンウィンだ。我ながら何という良いアイディアだろうか。

ちなみに、又吉投手獲得に向けて競合相手となるソフトバンクの16番は東浜投手でこれを替えるのは至難の技だ。阪神も西勇輝投手が16番なので替えられるわけがない。ついでに言うと、オリックスの16番は抑えの平野投手なので不動だろう。

16番を空けて待つことができるのは我が社だけなのだ。これは決まりと思っていいですか?


もう一つ妄想がある。


梶谷隆幸選手の移籍後あいている3番だ。この番号は高木豊さんや種田仁さんと言った内野手も使っていたが、梶谷選手の前は、スレッジ選手とラミレス前監督と言ういずれも外国人の外野手の背番号だった。


そこで相談なのだが、残留がほぼ確定した(と思っていいんですよねえ)タイラー・オースティン選手を3番にしてはどうだろうか?23番から3番への変更というのは、梶谷選手の63から3そして13(巨人)と言う一の位の数字つながりとも整合するように思う。


関根君(63番)、楠本君(37番)、蝦名君(61番)。君たちはオースティン選手の後の23番を狙って切磋琢磨してください。


野球選手は皆同じユニフォームを着ることがルールで決められるからこそ、自分だけの背番号に思いを込め、そして、ファンも応援する選手の番号を特別視して駐車場やロッカーの番号はそこを使ったりするのだ。


私はと言えば、遠藤さんが活躍した40年近く前から空いていれば必ず24番を使うようにしている。