mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

藤田一也に申し訳ないとずっと感じていた



ベイスターズ暗黒期の数々のボタンのかけ違いを正す作業が、現在、急ピッチで進められている(ここはNHK BS球辞苑のナイツ土屋伸之さんの口調で読んでいただきたい)。


12月8日 楽天ゴールデンイーグルスでプレーしていた藤田一也内野手がベイスターズに入団することが決まったという報道があった。


藤田選手は2005年から2012年途中までベイスターズで主にセカンドとショートを守っており、献身的で安定した守備で有名だった。当時から、一部では、守備は藤田が日本一うまいとも言われていた。


彼は、徳島県の出身で、県立鳴門第一高校(現鳴門渦潮高校)時代の森監督は次のように語っている。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/39554?page=8


「彼が3年夏の県大会、準々決勝の相手は徳島商でした。2点ビハインドで迎えた無死一塁、僕は早く1点でも返したくて彼にバントのサインを出した。結局、同点に追いつけずに試合に敗れ、それが彼にとっては最後の打席になってしまった。


バットコントロールのうまい彼なら、バントのサインを出さなくても何とかしてくれたんじゃないか……。ずっと、僕の胸の中では、そんな思いがひっかかっていました。


それで彼がプロ入りした際のお祝いの席で、思い切って切り出したんです。〝あのバントはすまなかったなぁ。後悔しているぞ〟と。すると、彼はこう返してくれました。〝いや、監督があの時、「打て」のサインを出しても僕はバントをしていました。監督と思いは一緒です〟と。


僕はもう涙がこぼれそうになりましたよ。藤田一也とは、そういう気配りのできる男。守備以上に彼が素晴らしいのは人間性かもしれませんね」


そして、藤田選手は近畿大へと進み、2004年のドラフト4巡目で横浜ベイスターズに入団した。彼はベイスターズのことが好きで、意中の球団に入ったと喜んでいた。


ベイスターズでは、石井琢朗の後継と目されて抜群に安定した守備を見せる一方、打撃ではなかなか結果が出せず、内川聖一、仁志俊久、石川雄洋といったライバル達と競う位置づけだった。


しかし、2011年には規定打席未達ながらも自己最高の打率.303を記録した。ここぞというところでの勝負強さが印象的だったし、ボールに当てるのが上手くて三振が少なく犠打や進塁打などのチームバッティングにも優れていた記憶がある。


私は彼の2012年の大活躍をとても期待していた。


しかし、2012年シーズンの途中、6月のある日、遠征先の大阪のホテルで藤田選手は球団幹部から内村賢介選手とのトレードで楽天に移籍することになったと告げられた。


藤田選手にとってこの通告は非常なショックだったようで、


「横浜に入りたくて入り、レギュラーになってチームを強くしたい一心で頑張ってきました。オフならまだしもシーズン中でしょう。そりゃ悔しかったですよ」


「翌日、横浜は沖縄への移動日だったんです。僕はホテルで皆を見送った。中畑清監督からは〝見送るのは俺たちの方だ〟と言われましたよ」


と語っている。


その日、楽天に合流するため別行動となる藤田選手が、空港へ向かう選手1人1人と握手し、涙の別れを交わしてバスを見送った。また、前夜には内野手を中心に送別会が開催されたそうだ。


当時のベイスターズの指揮官だった人情家の中畑清監督は大阪空港のロビーで報道陣にこう言っている。


「宿舎のバスのところでアイツが1人、見送るんだよ。ほとんどの人間が号泣してたよ。」


私はこの時、まさか藤田をトレードするのか、と思ったし、とても悔しかった。そして、何より、藤田選手の横浜への愛とチームへの献身に対して申し訳ないと感じた。


楽天に移籍した後の藤田選手の活躍は皆さんご存知の通りだ。


2013年には楽天ゴールデンイーグルスの球団初の日本一に好守で貢献し、その年のベストナインとゴールデングラブ賞を受賞している。また、その翌年も同じくベストナインとゴールデングラブ賞に輝き、2016年にもゴールデングラブ賞を受けた。


楽天の星野仙一監督は藤田選手のことを大変信頼していて、「お前の守備は10勝分の価値がある」と言っていたそうだ。

優勝した2013年9月、リーグ優勝までマジック2になった日の試合前、西武ドームの食堂でうどんを食べていると、星野監督が近づいてきて、藤田選手の横に座ってボソッとつぶやいた。


「ここまで来られたのも、オマエがおったからや」


うれしさと緊張のあまり、彼はその場で凍りついてしまったという。



私は、トレードが良い転機になって藤田選手の成績が向上した、というような都合の良いことを言う気は全くない。

楽天移籍後の活躍は、藤田選手自身のたゆまぬ努力と献身、ゴールデンイーグルスの同僚やチームのサポート、そして楽天ファンの皆さんの熱い応援によるものだと信じている。


トレードを企図したベイスターズの高田前GMはチームの基礎を作った功労者だが、藤田選手のトレードだけは大きな失敗だったと自分の責任に言及されている。

そう、この件は、DeNAが親会社となってからはあまりなかった暗黒期のボタンのかけ違いの最後の一つのように思える。


そして、この最後のボタンのかけ違いが修正され、藤田一也はベイスターズに帰ってくる。

来年40歳という年齢を考えると、あまり時間は残されていないかも知れないが、現役最後の活躍を見せてくれることだろう。


そして、ベンチにあって頼れる存在として若手の多いチームの精神的支柱になることは間違いない。

また、恐らく引退後は指導者としてベイスターズに残り鉄壁の内野陣の構築に貢献してくれることだろう。


藤田一也選手、お帰りなさい。そして、もう二度と離さないぞ。