mizuyashikiのブログ

横浜ベイスターズを中心にその時に考えていることを書きます。

ベイスターズ暗黒時代のベストゲーム

日本シリーズが終わってシーズンオフとなり、冬が来ると何故か暗黒時代のベイスターズのことを思い出す。


若い読者の方もいらっしゃると思うので簡単におさらいしておくと、横浜ベイスターズの暗黒時代とは、一般に、2002年から2015年の14年間を指す。


この14年間で最下位になること10回。Aクラスになったのは一度だけである。

特に、2008年から2012年までの5年間は連続最下位で勝率も4割を下回った。


2009年と2012年には首位とのゲーム差が40を超え、2010年には48勝95敗という悪魔も涙を流すような成績をおさめた。ちなみにその前二年間も90敗以上を喫している。


我々ファンはこの暗い時代の中で一握りの宝石のように輝く勝利を胸に抱き、難破して孤島に閉じ込められた船乗りたちが暖かい家庭を思い出すように繰り返し繰り返し何度も思い出して過ごした。


私にとって一番の宝石は2013年5月10日の横浜スタジアムでの巨人戦だ。


7回表に当時はジャイアンツに在籍していたホセ・ロペスのホームランがダメ押しのダメ押しとなり、3-10と7点リードされた。

その年は開幕から巨人に5連敗しており、また負けでしょハイハイと言う声が周囲のベイスターズファンからも聞こえてきた。


ところが7回裏、DeNA打線が突如として目を覚ます。まずノーアウトでルーキーの白崎浩之がセンター前ヒットで出塁すると、ここで代打に多村仁志選手が送られた。


多村選手は1994年のドラフト4位で横浜高校からベイスターズに入団したが、その後、怪我などでコンスタントに試合に出場することのできないシーズンが続いた。

もがき苦しんだ末、10年目の2004年に初めて規定打席に達すると、球団としては日本人として史上初となる3割、40本塁打、100打点を達成し、ついにチームの顔となった。


この年の日米野球でNPB選抜に選ばれ、ホームラン競争でマニー・ラミレスに勝利したり、また2006年の第1回WBCでは日本代表として全試合に出場し、チームの打点王、本塁打王となって優勝に貢献するなど、一気にスター選手となった。


しかしその年のオフ、ソフトバンクへの移籍が発表され、私は崖から突き落とされたように感じたことを覚えている。多村選手は、ソフトバンクでも主力として活躍し、リーグ優勝と日本一に貢献した。


この間、多村選手は「いつかベイスターズに戻って自分の経験を還元したい」との思いがあり、かつて12年間過ごすも勝てず、泥沼にはまりもがき苦しむ、愛着あるベイスターズの姿がいつも脳裏にあったそうだ。


そして2013年シーズン、7年ぶりに多村仁志はベイスターズに戻ってきた。


多村選手は4月22日に登録抹消されたが、ファームでは3本塁打を放ち好調を維持しており、大事な巨人戦を前に声がかかっていた。


多村選手は高木京介投手の高めに浮いた初球の変化球を捉え、レフトスタンド上段へ飛び込む大きな放物線を描くホームランを放った。


つづくナイジャー・モーガンが来日1号となるソロホームラン。

そして走者一、二塁の場面でトニ・ブランコの打球がショート・坂本勇人を強襲して追加点、そして中村紀洋のレフトオーバーのツーベースで2得点を挙げる。


ベイスターズはなんと7連打で、あっという間に10対9にまで迫った。


1点ビハインドの9回裏、代打の高城俊人と後藤武敏がヒットで出塁し、1アウト一、二塁の場面で多村選手が再びバッターボックスに入った。カウント2-2から、西村健太朗投手が投じた151kmのストレートを逆らうことなく逆方向へ。ボールは大歓声のなかライトスタンドへ吸い込まれていった。逆転サヨナラスリーラン。ついに7点差を逆転した瞬間だった。



当時、横浜DeNAベイスターズの監督を務めていた中畑清は、興奮で沸きかえる横浜スタジアムの情景を思い出して、こう言っている。


「俺が一番喜んでたんじゃないか。真っ先にベンチから飛び出ていたからね(笑)。原(辰徳)監督のあの悔しそうな顔は今でも忘れられないよ。どうだ参ったかって、本当の意味でリベンジできたよね。あれで俺の監督業は終わったよ。いやまあ、冗談だけどさ」



2013年のシーズンのベイスターズは、64勝79敗1分の5位。暗黒時代から抜け出すことは出来なかった。しかし私はこのキラキラと輝く宝石のような試合の記憶を脳裏に焼き付け、これでご飯10杯は行ける、違った、10年は楽しめると思った。


めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、『生きていてよかった』と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。 中島らも